轢断現場近くのロープ小屋の扉の血痕は矢田喜美雄氏の『謀殺 下山事件』には、「親指を除く手の四本の指跡がベッタリと印刷されたようにトビラの板についた血痕で、血の量も豊かで板から直接浸出液をつくったものから判断された、浸出液をつくる前にみた指跡は、右手中指の指紋で渦状紋が浮き彫りにされたのがよくわかった」と記されており(新風舎文庫版p174)、いわゆる血痕指紋だったことが分かります。昭和24年7月28日付の朝日新聞にも「トビラの小部分には、血の盛り上がったところに指紋があり、鑑定の結果、これをつけた人物(推定慎重五尺八寸ぐらい)の右手中指のものらしい」とあります。この血痕指紋を付けたのは自殺説ではロープ小屋の所有者KZ氏のものである可能性が高く、他殺説では下山氏の死体運搬者であろうとされていますが、指紋鑑定は個人識別における極めて強力なツールですので、両説にとってこの指紋が重要であることは言うまでもありません。
しかし、自殺説の文献も他殺説の文献も、指紋が発見されたことは書いてあっても、それがその後どのような検査を受けたのかを詳細に論じているものは、当ブログ管理人の知る限り皆無です。唯一、『資料・下山事件』で古畑氏が「指紋も出たんですけれど、どうもはっきりしなかった」と簡単に述べているのみです(p213)。この古畑氏の証言を見ると、どうやら指紋はそれほど鮮明ではなかったのかもしれないと思わされますが、昭和25年6月21日付の読売新聞には「血痕指紋の捜査行き詰る」という記事があり、「法医学教室野田、中野助手から当局に報告された廃ロープ工場のヘイに付着していた唯一の指紋は調査の結果附近の人のものと判明した」と記されています。ちなみにロープ小屋の所有者KZ氏は、ロープ小屋から程近い、現在の足立区綾瀬に相当する場所に住んでいました(『資料・下山事件』p373)。この記事の「ヘイ」というのは扉とは違う部分を指している可能性もありますが、扉以外で指紋が検出されたという情報およびそれを東大法医学教室が検査していたという情報は、当ブログ管理人の知る限りどの文献・記事にもありません。
新聞記事にはたまに非常に精度の低い情報が載ることもあるので、この記事の内容を鵜呑みにするのは危険であり、また『資料・下山事件』の古畑氏の発言を見れば、血痕指紋が個人識別に使えるほど鮮明ではなかったと考えるのがとりあえず順当なのでしょう。しかし当ブログ管理人は、この読売新聞の記事と、指紋検査の結果がどの資料にも詳しく記されていないという事実が多少ひっかかります。
- 2008/11/02(日) |
- 血痕
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今回初めて「不思議ナックルズ」というのを買ってみましたが、これはオカルトあり都市伝説ありの、いろんなものがごった煮状態になっている雑誌なんですね。
それはさておき、このvol.16には斉藤充功氏執筆の「私は暗殺チームの一員だった」という下山事件に関する記事が収められています。発売されて間もない雑誌なので、内容を詳細に述べるのは差し控えますが、陸軍中野学校を卒業し、戦後CICに勤務した人物が事件の「真相」を語っています。彼によると、CICの複数のチームが下山氏の誘拐や殺害に関わったということです。殺害現場は千葉県の館山らしいのですが、五反野から結構遠いところで殺害したんだな、という印象を持ちました。この情報提供者は現在手記を書いており、完成したら斉藤充功氏に連絡すると約束しています。あと何年か待てば、新たな下山事件「神話」が生まれるのかもしれません。他の他殺説との整合性の問題をいかにクリアするか、興味深いところです。
- 2008/10/31(金) |
- 下山事件関連書籍
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言うまでもなく下山事件の自他殺説において色素、染料、油(以上秋谷鑑定)、死体運搬列車の問題は極めて重要です。これらの問題は今後このブログでも取り上げる予定ではありますけれども、いろいろと思うところ等あり、非常に詳細に紹介するということはないと思います。ご了承くださいませ。現在は具体的にこれらを当ブログでどのように扱うべきか、思案中です。なお、油については
事件関係ブログさんに非常に優れたレビューがありますので、是非ご覧ください。管理人の知る限り、現在のところネット上で秋谷鑑定についてここまで詳しく、また分かりやすく扱っておられるのは事件関係ブログさんだけです。
- 2008/10/31(金) |
- お知らせ等
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今回は自殺説も他殺説も関係なく、血痕の発見されたロープ小屋の構造について簡単に触れます。
東京都23区の昭和初期航空写真(昭和22年と昭和38年)のサービスがgooで見られますが、調べてみると昭和22年の写真にはしっかりロープ小屋が写っています。「小屋」と聞くと、小さなプレハブ小屋のようなものを連想しがちですが、実際はロープを作るという目的のため、長さ約80メートルにわたる細長い形をした建造物でした(『真実を追う』p169)。宮城音弥・二三子著の『下山総裁怪死事件』(光文社)には150メートルと書かれていますが(p161)、航空写真から見る限り、やはり80メートル前後という情報が正しいようです。手形の血痕がべっとりと付いていたのは小屋の端の扉でした(少し出っ張っている部分)。昭和44年7月号「新評」の元捜査一課主任の関口由三氏による「下山元国鉄総裁“自殺”の証拠」という記事にはロープ小屋の内部から撮った写真があります。これを見ると、長いロープ小屋の大半の部分には壁がなく外から見えることが分かります。ただ、扉付近には壁があるようですので、下山氏の死体が置かれたと推測されているのは扉周辺であろうと思われます。

昭和初期航空写真(昭和22年)

関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)より

昭和44年7月号の「新評」より
- 2008/10/30(木) |
- 血痕
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失踪当日、千代田銀行で私金庫を開けるために使った鍵の番号は1261(昭和24年7月8日付 朝日新聞)。金庫自体の番号は3500(『語りつぐ昭和史 激動の半世紀6』p169)。この貸金庫には客用と行員用の鍵がふたつ付いていて、開けるときには行員と一緒に行かなければならない。閉めるときには客の鍵で閉めると銀行の鍵も同時に閉まる仕組み。下山氏の金庫は一番小さいタイプで、深さ二寸、幅四寸、奥行き二尺(『下山事件の謎を解く』p28)。
当時の地下鉄三越前駅地下飲食街には「室町茶寮」と「香港」という喫茶店があった(失踪当日、下山氏に似た人物が現れたのは香港。『謀殺 下山事件』p332)。室町茶寮は国鉄幹部の会合場所として利用されていた(読売新聞、昭和24年7月7日付)。下の画像は昭和24年7月6日付の読売新聞に載っていた室町茶寮の広告。

下山氏が失踪当日に履いていた靴は次男が上智大学で配給を受けたものだが、あまりにサイズが大きかったので放っておいたのを下山氏が代わりに履いていた(『生体れき断』p164)。
轢断現場で下山氏の上着ポケットから見つかった煙草の銘柄はピースだった(『生体れき断』p93)。下の画像は昭和24年7月6日付の毎日新聞に載っていたピースの広告。

下山家で飼っていた犬は下山氏の失踪後、2日間餌を食べなかった(毎日グラフ、昭和24年8月1日号)。名前、性別等は不明。

- 2008/10/19(日) |
- 下山事件よしなしごと
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