下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

三大新聞社と下山事件報道

 下山事件報道というと、朝日と読売が他殺説で毎日が自殺説とはっきり分かれて対立したというイメージがありますが、様々な文献を見てみると、どの新聞社も内部では紙面から受ける印象ほどに一枚岩ではなく、ひょっとするとどの新聞社の記者も事件に対する考え方に大きな違いはなかったのかもしれないとも思わされます。結局は担当デスクや上層部の見解が非常に色濃く紙面に影響するようです。

 まずは朝日新聞からいくつかの文献を元に見ていきたいと思います。『朝日新聞記者の証言5 戦後混乱期の目撃者』の著者、菅野長吉氏は事件当時朝日新聞社会部の記者でしたが、7月5日の定時に下山氏が国鉄本庁に現れないとい理由だけで、記者たちはすぐさま殺人事件だと決め付け「誰が殺したか!」で取材が始まった、その雰囲気、社会情勢を「異常」であったと分析しています。朝日新聞といえば他殺説ですが、本書を読んだ限り菅野氏自身は中立かもしくはやや自殺説に近い印象さえあり、列車の底部に多数発見された血痕は東大の「生活反応無し」という鑑定に矛盾し、田端機関区や怪電話の線を洗っても何も出てこず、自動車や船による死体運搬はほぼ不可能で列車からの死体投下も無謀で現実味を欠く、と述べています。朝日と毎日の下山事件報道の違いは、「科学」を重視する朝日と「事件は現場第一」を信条とする毎日の社風の違いからきているそうですが、上層部に右寄りの人がいたことも影響したようです。『昭和史探訪6』で矢田喜美雄氏も、当時はあらゆる新聞で右翼的な人物が編集の責任者になっており、当時の朝日新聞の社会部長(進藤次郎氏)もその一人だったと証言しています。菅野氏は他殺報道を推し進める右寄りの幹部(菅野氏はこの幹部の「十手取縄の刑事などに何がわかるか」といった言葉をいまも忘れない。これが朝日の本音だったのである、と述べています)が出張で出払っている隙を見計らって、「捜査は自・他殺五分五分」という修正報道の記事を送稿したといいます。他殺説を支持する証拠としては、下山夫人、加賀山副総裁、島工作局長らの証言を挙げていますが、不思議なことに同じ朝日新聞社会部の矢田氏の活躍については具体的なことはあまり書かれていません。下山事件を他殺か自殺かで迷っていた人々を他殺説に傾斜させたのは、下山事件の9日後に起こった三鷹事件だったとあります。国鉄関係高官はみな他殺を主張し、警視庁の捜査本部内にも両説が生まれ、新聞までも二手に分かれて報道したため憶測は憶測を呼んだが、最終的にはすっきりしない形で捜査は打ち切りになり、当時は庶民も記者も振り回され前が見えないような状態になっていた、と締めくくっています。

 昭和24年7月31日号の週刊朝日には、「下山事件をめぐって」という記事があり、司会と14人の朝日新聞記者が参加して下山事件について座談会を開いています。管理人は朝日の社会部の記者の意見はやはり他殺説が相当強いだろうと思っていたのですが、内容を読んでみるとまったく違いました。例えば、(成田屋の女将について)「とにかく彼女は疑われる筋はない」、(末広旅館の女将NFさんについて)「非常に嘘つきだという連中もいるけれども、僕は平凡な女将だと思う。主人は特高関係の元刑事だといわれている」、(警視庁について)「捜査本部、出先きは捜査について政治的に動かされることは絶対ない。国民は刻々発表される堀崎(管理人注、警視庁捜査一課長)の発表を信じ、デマに迷わされないでいい。その後を見守っておればいいのだとぼくは思う。少なくともその点は信頼して欲しいね」、(田端機関区について)「全然笑われたらしいね。あそこに行ったら……機関車で死体を運ぶなんて絶対に出来ない。しかも人目につかないように運ぶなんて絶対に出来ない。田端機関区にもそれ程強硬なやつはいないという。色々田端機関区を洗ってはいるが何も出てこないらしい」、といった発言が複数の記者から出ています。この座談会には『謀殺 下山事件』で多くの紙面を割いて論じられている警視庁、末広旅館、田端機関区等にまつわる陰謀や謀略は一切出てきません。この記事の内容を読むと、菅野長吉氏の言うように朝日はやはり東大の鑑定を重く見ているのが分かります。というより、この座談会に出席している社会部記者が他殺の証拠として確かだと考えているのは、東大鑑定だけと言ってもいいかもしれません。司法解剖の死後轢断という結果も信じるが、警視庁の捜査結果にも疑いを差し挟む余地はない、記者たちはそこにジレンマを感じているようにも思われます。しかし、怪しいといわれたものでも取材や捜査でシロと出たものはきっちりと排除し、科学を重視するこの態度は健全だといえるでしょう。田端機関区に関する見解は、記者自らの取材と労組関係を担当していた捜査二課の刑事による捜査結果から得られたのだろうと思いますが、このような情報が『謀殺 下山事件』を始めとする他殺説の文献には無視されているようで、管理人としては引っかかるところです。

 『跳んだ男 矢田喜美雄』に寄稿している朝日新聞社会部OBの横山政男氏は、矢田氏の血痕群の発見などの仕事は高く評価してはいるものの、「旅館で休憩した人は明らかに下山総裁で、替え玉が線路上をうろつき回ったという説は、ちょっとうなずきがたいと思われる」と述べています(p101)。当ブログ管理人は他殺説のなかの特に「替え玉説」は非現実的なのではないかと考えていますが、こうしていくつかの文献や記事を見てみると、朝日新聞社会部の内部でさえ替え玉説の支持者はそれほど多くはなかったのではないかという気がします。比較的最近の1995年7月15日号のAERAでも、朝日新聞社会部の遊軍記者だった藤村昌男氏は、「結局決着はつきませんでしたが、個人的には自殺じゃないかと思ってます。少なくとも、下山総裁が疲れていたことは間違いなかった……」と述べています。

 朝日新聞と同じく、他殺の線を強力に押しまくった読売新聞にもやはり自殺だと考える記者はいたようです。当時警視庁詰だった竹内理一氏は取材データからはどう考えてみても自殺ということにしかならず、社会部長や編集局長に警視庁の捜査官(鈴木清氏と関口由三氏)と対談する機会を作らせたものの、読売新聞の上層部は聞く耳を持たなかったようです(ちなみに当時の読売新聞の社会部長は原四郎氏。「謎の下山事件を繞る新聞社の対立」人物往来特集、昭和31年10月)。同じく警視庁で二課を担当していた福島薫氏も結論は自殺で、理由はあれだけ他殺の情報を追ったのに結局何も出てこず、捜査を続けた二課の刑事たちも「自殺だよ」と笑っていたからだといいます。読売新聞従業員組合委員長だった青木慶一氏も自身は取材に関わらなかったものの、各種の情報から判断して自殺と考えており、後に最高検検事となったある人物と雑談中に下山事件の話題になったときも、お互いの意見は自殺だったようです。「検察庁だって、本当のところは自殺と考えていたんじゃないですか」というのが青木氏の結論です(『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』p225-226)。

 毎日新聞については以前のエントリで触れたように、社内からは自殺説報道には少なからず批判の声が上がっていました。昭和36年6月号の中央公論には、毎日新聞社会部部長だった黒崎貞治郎氏の下山事件前後の回想録が載っていますが(「なつメロ 社会部長の唄」)、それによると下山事件担当デスクの平正一氏は(記事中ではT記者)、他殺の線を割り出そうと苦心したものの断定するに至らず、結果的に毎日の報道は自殺説という形になったようです。黒崎氏は「もちろん他殺が証拠づけられるものは、これを報道するに吝かではないが、他殺の線を追えば追うほど消えていくのであった」と述べています。平氏は他紙に比べて一番精気のない毎日の紙面を幹部が批判していないか気にしていましたが、実際社会部まで来て文句を言ったり、平氏が左派の秘密党員だという噂を流す人もおり、「社内は喧々ごうごう」でした。「社会部記者としては、これを他殺にもって行く方が張り合いがあり、読者の興味をそそることもおびただしいので、どちらかといえば“他殺”の裏づけがあれば、この線を押して行くことが望ましい」ようですが、黒崎氏は平氏の記者としての手腕を信頼し、上から押さえつけず、(ちょっと歯の浮くような言葉ですが)「真実は一つなり」と励まして思うようにさせたようです。最後に黒崎氏が強調しているのは、平氏は左翼的思想の持ち主でも共産党員でもなく、帝銀事件の直前に起き、やはり平氏が担当デスクを務めた本庄事件報道では周囲から右翼とみなされたということです(といっても平氏が右翼的だと言っているわけではなく、本人の思惑に関係なく状況や周囲の人間によって勝手に右に左にレッテルを貼られてしまうという意味です)。ちなみに黒崎氏によると、当時は朝日新聞は進歩的で民主主義の旗手、読売・毎日新聞は保守的で右翼の音頭とりという見方を一般的にされていたといいます。

 事件発生当時の朝日、読売新聞を読んでみると、犯人や死因の「推理」に割かれた紙面が非常に多く(銃殺説、撲殺説、毒殺説、感電死説など)、今日的な観点からすれば自殺説だけでなく他殺説から見てもあまり意味のない記事が多いように思います。そういった賞味期限の短い、しかし面白い記事を提供することこそ大衆が望んだものであり、商業紙的には黒崎氏の言うように「望ましい」方針だったのでしょう。当ブログ管理人は別に毎日新聞大好きというわけではありませんが、下山事件報道に関しては毎日新聞が最も公平に自殺説も他殺説も扱い、バランスの取れた記事を書いていたと思います。その毎日の立場をよく表している昭和24年7月8日付の社説の一部を引用して終わりにします(『下山事件全研究』p34-35、『資料・下山事件』p21-22)。

 下山総裁の怪死は他殺説が有力であるという。ところがこれに付随して、重大な一事実が発生した。それは他殺を政治的なテロに結びつけて考える臆説、うわさである。はっきりいえば、国鉄の整理に直接結びつけて考える臆説、さらに共産主義者の政治的テロに結びつける臆説だ。
 うわさや個人の無責任な臆説は、もちろんとりとめもないものだ。だがそれにしても、うわさや臆説もやはり一つの事実である。下山事件については左翼の凶暴なテロの憶測が大衆の心を支配してるように思われる。
 国鉄労組や共産党に対しては、こういう臆説が生まれたことを気の毒に思う。かれらにとっては実に迷惑なぬれ衣であろう。なるほど歴史的事実としては、共産主義と政治的テロは、僧侶とけさのように縁が深い。帝制ロシア時代の多数のテロはもちろん、各国に無数の例が残されている。しかし大局的にみれば、個別的なテロは共産主義運動が幼稚な時代の愚かな戦術だった。日本の共産主義運動も、いまごろ半世紀前の愚かな個別的分散的テロの戦術をとるほど愚かではあるまい。
 この意味でわれわれは大衆に警告する。大事なことはただ事実だけである。現在では他殺が有力であるというだけである。すき勝手な臆説、特に政治的テロの臆説はつつしむがよい。臆説は単なる興味に止らない。無意識のうちに、臆説の対象者に理由のない憎悪の感情を発生させる。ぬれ衣の場合には、相手は不必要に大きな実際的損害をうける。右翼政治家などの言葉のうちには、この大衆感情を利用するのではないか、と疑われるようなものもほの見える。これは厳戒を要する。

  1. 2008/05/24(土) |
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