自殺か他殺かは別として、事件発生後にそれを最大限に利用した、もしくはしようとした人がいたのは確かでしょう。増田甲子七官房長官と加賀山之雄国鉄副総裁(後に総裁)もそういった人たちのなかに含まれるといってもいいかもしれません。
増田氏は7月6日正午の記者会見で「ひかれる前に死んでいたとの見方が強い」と、八十島監察医による「轢死」というのが唯一の科学的判定であった時期にそれを無視し、他殺の可能性を示唆する声明をしています(『下山事件全研究』p17)。(ちなみに松川事件のときも同様に、事件の翌日、まだほとんど何も明らかになっていない状態で増田氏は「三鷹事件をはじめ、その他の各事件と思想的底流においては同じ」と発言しています。『松川事件 謎の累積』p12)その後も増田氏は、自殺の線の記事が多い毎日新聞の記者(若月五朗氏と今井太久弥氏)を首相官邸に呼び、「国鉄の大量首きりによる労働攻勢のはげしいおり、あなた方のいうように下山さんが自殺だったとしたら、この左翼勢力はどうなりましょう」、「終戦後四年、やっとインフレを克服して、国民生活が安定しかけたとき、あなた方の報道で左翼攻勢の突破口を与え、国民生活を再び混乱におとしいれたら、あなたの新聞の責任は大きいと思いますがね」、「これが自殺だなんていうことになったら、せっかくここまで来た日本が元に戻ってしまうではないか」と述べたといいます。「真実に耐えられないような国民が復興できるはずがありませんよ」と今井氏が答えると、「君ね、やはり祖国というものは復興させなきゃならんのだから」と、両者の話し合いは最後まで平行線のままで打ち切りになりました。(『資料・下山事件』p561、『生体れき断』p127-128、『毎日新聞社会部』p21-22、「下山国鉄総裁は自殺だった」中央公論1986年4月号)。毎日新聞の平正一氏は増田氏の発言をして「恐るべき論理」、「恐るべき権力主義的な考え方」と評しています(『生体れき断』p128)。増田氏とまったく同じような「これが自殺ということで、日本の将来はどうなるか」という言葉は、加賀山氏の口から発せられています(『生体れき断』p122)。これらの発言は彼らの立場と、戦後間もない大変な時代でレッドパージも盛んだったという背景も併せて考える必要があるかと思います。
この二人はそのほかの点でも似ていて、例えば捜査の報告に訪れた警視庁の坂本智元刑事部長に対して「もういいから帰れ。オレが、県の警察部長をやった経験から、アレは他殺に絶対まちがいない」と増田氏が激怒したかと思えば、加賀山氏は捜査一課長の堀崎氏に喰ってかかったり、自殺という結論では責任回避ではないかと警視総監の田中氏をなじったりしています(『下山事件全研究』p189、『資料・下山事件』p525、531)。増田氏は事件から10年後、「素人判断だが、他殺だったと思う」と述べています(『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』p82)。
※関連した内容は
「事件直後の政府高官の発言」をご参照ください。
- 2008/04/01(火) |
- 政府・GHQ関係
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