下山総裁を轢断した列車の機関士Y氏に関する記述で気になる点を見つけたので、柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)より引用します。
ちなみにY機関士は事件から七ヵ月後の昭和二十五年二月十九日、四十六歳の若さで不審死を遂げている。(p96)
そして事件から七ヵ月後、Y機関士は謎の死を遂げた。(p355)
轢断列車の機関士だったYKは、事件から七ヵ月後に変死した。(p462)
不審死、謎の死、変死とありますが、いったい具体的にはどんな亡くなり方をしたのでしょうか。佐藤一著 『下山事件全研究』、平正一著 『生体れき断』、宮城音弥・宮城二三子著 『下山総裁怪死事件』などを見てみると、胃潰瘍の手術後、腸閉塞を併発して亡くなったそうです(『下山事件全研究』p452、『生体れき断』p74、『下山総裁怪死事件』p181)。Y機関士は若い頃下山氏にお世話になったことがあるそうで、総裁を轢断してしまったことを非常に気に病み、深く悩んでいたようです。大量の人員整理後で休暇もまったく取れず働きづめなうえ、死の前日まで検察事務官が家に来るなど執拗な取調べもありました(乗務が終わって水戸に帰るも、しばしば呼び出しですぐに東京の警視庁に出向かねばならず、暇がないため病院に行くのも遅れました)。Y機関士の体が病魔に冒されたのはおそらくこれらが主な原因でしょう。入院していた病院の院長は「病気もさることながら、下山総裁を自分の車でひいたことを非常に苦にしているので、胃の方が一向に良くならない」と述べ、彼の懊悩の深さを伝えています(『生体れき断』p75)。『下山事件全研究』にはご遺族の辛い思いも記されています。佐藤一氏の取材に答えるY機関士の奥さんと娘さんの言葉を以下に引用します(p452)
「それは大変な悩みようでした。あの元気な人が病気になってしまったのですから……(中略)秋になると、おなかが痛むといいだしたんですね。医者にみせると胃潰瘍で、すぐに手術をしなければだめだといわれました。一〇月に手術して病院は八〇日ぐらいいたでしょう。まだだめというのにどうしても帰りたいといって暮に退院し、正月を家でやったんです。輸血なんかももう少しやればよかったんでしょうが……。それにやっぱりあのことが気になり、苦にしていたんでしょう。二月十九日に死にましたが、その五日前まで東京の検察庁の人がきていました。主人は、何度きてもおんなじだ、といって断っていましたが、これが最後だ、もうこないといって調書をとって、署名しろといってきました。本当にあれが最後になってしまいましたね」
「あの事件は、もう時効にもなったんでしょう。それだのになんだって今ごろまた、下山事件だなんて、いってくるんです。父は、あの事件で殺されたようなもんなんです。私たちだって、とても迷惑を受けました。悲しいおもいをしました。新聞だ、雑誌だ、放送局だと。つぎからつぎへ押しかけて……私には話すことはありません。いくら話したって、怪しい、怪しいといわれっぱなしで、本当に迷惑です。帰ってください。なにも話したくありません」
何をもって「不審」「謎」とするのかは人それぞれでしょうし、陰謀に加担した罪の意識に苛まれて身体が弱ったのだ、と勘ぐることも可能と言えば可能かもしれません。事実他殺説によるとそういった見方がありますし、Y機関士の死後、世間では「自殺した」という根拠の無い噂が広まりました(『生体れき断』p74-75)。しかし、私は胃潰瘍と腸閉塞で亡くなった方に対して、「不審死」「謎の死」「変死」という言葉が使われていることに違和感を覚ざるをえません。『下山事件 最後の証言』では最終的にY氏は変死ですらなく、殺されたことになってしまっています(p466)。
- 2007/12/09(日) |
- 平成三部作
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