『「藪の中」の死体』のなかで上野正彦氏は、公表されたデータについて第三者が考察や評論をすることは自由であり、規制することはできないし、執刀医はそれらに左右されず、自分の意見を述べればよい、と述べています。これは法医学が自然科学の一分野であることを考えれば、当然だと思われます。特に下山事件のような重大なケースではそうでしょうし、外野から何か言われるのは不可避といってもよかったのかもしれません。もし解剖に立ち会わずに意見すること自体が間違ったことならば、古畑氏は中館氏だけでなく、解剖を見ずに他殺説を支持しつつも窒息死説を唱えた法医学者に対しても同様に批判すべきだったのではないでしょうか。また、裁判で法医学鑑定の是非が焦点になった場合、解剖や鑑定に立ち会っていない法医学者が法廷に呼ばれ意見をし、最終的に執刀医の鑑定が覆ることもしばしばあります。つまり、実際に解剖をしていない法医学者が執刀医の鑑定結果に意見を述べるのはなにも珍しいことではないのです。
下山事件の場合に問題だったのは、中館氏が発言したこと自体やその内容ではなく、新聞の三面記事で意見を述べたことなのかもしれません(とはいえ、批判というよりは一般論的な内容ですが)。もし新聞ではなく学術雑誌であったならば、法医学論争は感情的なやり取りを伴わなかった可能性もあります。結果的に東大法医が批判に対して十分に反論できたのかという最も重要な点に関しては、後の法医学者の評価は否定的といってよいでしょう(
「アンザッツ・ブルートゥング」)。
話は変わりますが、下山事件は裁判になっていないとはいえ、司法解剖の結果についてはかなり詳細に知ることができます。下山氏の死体が発見されたその月の30日には既に日本法医学会臨時評議員会として設けられ、桑島氏は相当詳しく解剖所見を発表していますし、その1ヵ月後の8月30日には衆議院法務委員会で古畑氏らはそれぞれの立場からの意見を表明しています。昭和39年の法務委員会では鑑定書の要約が配布されています(正式の鑑定書自体も便箋2枚ほどでそれほど長くはないようです。中央公論、1986年4月)。また、『資料・下山事件』にはその鑑定書の要約も収められており、そのほかにも下山事件研究会でのかなり詳しい桑島氏の証言がありますし、完全にとはいかないまでも、鑑定内容は半ば公となっているといってもいいのではないかと思います。事実、『死の法医学』の著者、錫谷徹氏は「法医学的考察にはほとんど事欠かない」と述べています(p221)。
- 2008/03/25(火) |
- 法医学論争
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0