平正一著 『生体れき断』には、末広旅館の主人NS氏が元警察関係だという経歴や下山事件に関わるエピソードが書かれています(p93-95)。
警察に積極的に情報提供したNS氏ですが、それが災いしたのか、ある新聞社(具体的には書いてありません)の記者がNS氏は共産党員で党の命令で警察に届け出たのではないかと言いだし、根も葉もない噂が飛び交いました。警察にその件について調べられたそうですが、実際は彼は共産党員ではありませんでした。しかしこれだけでは終わらず、次は旅館の宣伝のために警察に届け出たのではないかという風評が広まりました。これもやはり根拠はなく、しかも実際のところは悪意に満ちた憶測や風評のせいで客足は減ってしまったそうです(重要なことですが妻で旅館の女将のNFさんはそうなることを予見して、最初は警察に届け出ることに反対していました)。
『下山事件 最後の証言(増補完全版)』では事件後NS氏は急に羽振りが良くなって旅館を買い取ったと書かれていますが(p351)、『生体れき断』によると客足が遠のいた後、「屋敷も大半を人手にわたし、私はこの片隅でやっと生きているという始末です」とNS氏は語っています。管理人にはどちらが本当なのかは分かりません。もっとも『最後の証言』では羽振りが良くなった理由は旅館が繁盛したからではないようなので、また違う話なのでしょう。とはいえ、『生体れき断』を読む限りNS氏が事件後あまり裕福な生活をしていたようには見えません。1986年4月の中央公論での今井太久弥、佐藤一、富山和子、増田滋各氏の座談会(「下山国鉄総裁は自殺だった 38年目の真実」)でも増田氏が「末広旅館の主人も秘密党員だという出所不明のウワサをふりまかれ、営業できず、旅館を手放してしまい憤死した。実際は特高刑事出身だった。」と述べています(p318)。(※ここでも既に特高関係者だったことは平成三部作よりもずっと早い時期に述べられています。
「平成三部作のこと」、
「諸永裕司氏のこと」参照)
こうして見てみると、NS氏にとって下山事件は災難以外のなにものでもなかったように思えます。生前さんざん風評被害に悩んだNS氏ですが、平成の世になっても様々な憶測が飛び交っているようで管理人としては同情を禁じえません。他殺説が主張するようにNS氏が本当に証言デッチ上げに係わっていたのか、真実は管理人には分かりませんが、少なくとも当時の共産党員云々という風評が「確固たる証拠のない憶測」だったことは確かです。
※追加
NS氏が共産党員だという嘘の届出をした新聞記者がどの新聞社に所属していたのかは、『生体れき断』には書かれていませんでしたが、佐藤一氏の『下山事件全研究』に次のような記述を見つけました(p61)。「聞き込み」というのは警察による五反野周辺住民への聞き込みです。
また、その前日の聞き込みでは、A新聞の記者が、末広旅館のおやじは共産党員で、党の命令で下山さんらしい人が泊まったと届け出たのだ、といっていた、というのもあった。
- 2007/12/23(日) |
- 末広旅館・五反野周辺
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