他殺説の文献だけを読んでいるとはっきりと分からないのですが、鑑定書を作成した桑島氏と古畑氏とでは、下山氏の死因についての考え方が違うのです。桑島氏は既に紹介したように(
法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖)、局部蹴り上げによるショック死説を唱えています。それに対し古畑氏は、特に事件から時間が経つにつれて失血死説を唱えるようになります。東大法医学教室としての正式な見解は、昭和24年12月30日に検察庁に提出された鑑定書にあるように一応「ショック死」なのですが、注意深く見てみると古畑氏がそれに満足していないことがわかります。例えば、桑島氏は司法解剖のわずか数日後にはショック死の可能性を指摘し始めているのに対し、古畑氏は昭和24年8月30日の衆議院法務委員会に召集されたときも「死因はまだ不明」と述べています(このときに「桑島がつまらんことをいってしまって」とぶつぶつ言いながら、桑島氏をしかりつけている古畑氏が新聞記者に目撃されています)。東大内部でさえ死因については一枚岩ではなかったということです。
いつごろから死因として失血死を考えていたのでしょう。最も早い時期に活字として残っているのは昭和25年7月5日付けの朝日新聞で、古畑氏が失血死の可能性が強いことを認めているとする記事があります。古畑氏自身が書いたもので初めて明確に失血死説を唱えたのは、昭和33年9月に発行された『法医学の話』(岩波書店)で、死体と轢断現場にはほとんど血液が残っていなかったため、ほかの場所で血を抜かれて死んだのだろうと推測しています(p25)。
後で桑島氏の説と古畑氏の説を比較しながらより詳しく検討します。
- 2007/12/10(月) |
- 法医学論争
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