下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

不思議ナックルズ vol.16 ミリオン出版

 今回初めて「不思議ナックルズ」というのを買ってみましたが、これはオカルトあり都市伝説ありの、いろんなものがごった煮状態になっている雑誌なんですね。

 それはさておき、このvol.16には斉藤充功氏執筆の「私は暗殺チームの一員だった」という下山事件に関する記事が収められています。発売されて間もない雑誌なので、内容を詳細に述べるのは差し控えますが、陸軍中野学校を卒業し、戦後CICに勤務した人物が事件の「真相」を語っています。彼によると、CICの複数のチームが下山氏の誘拐や殺害に関わったということです。殺害現場は千葉県の館山らしいのですが、五反野から結構遠いところで殺害したんだな、という印象を持ちました。この情報提供者は現在手記を書いており、完成したら斉藤充功氏に連絡すると約束しています。あと何年か待てば、新たな下山事件「神話」が生まれるのかもしれません。他の他殺説との整合性の問題をいかにクリアするか、興味深いところです。

  1. 2008/10/31(金) |
  2. 下山事件関連書籍
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色素、染料、油、列車について

 言うまでもなく下山事件の自他殺説において色素、染料、油(以上秋谷鑑定)、死体運搬列車の問題は極めて重要です。これらの問題は今後このブログでも取り上げる予定ではありますけれども、いろいろと思うところ等あり、非常に詳細に紹介するということはないと思います。ご了承くださいませ。現在は具体的にこれらを当ブログでどのように扱うべきか、思案中です。なお、油については事件関係ブログさんに非常に優れたレビューがありますので、是非ご覧ください。管理人の知る限り、現在のところネット上で秋谷鑑定についてここまで詳しく、また分かりやすく扱っておられるのは事件関係ブログさんだけです。

  1. 2008/10/31(金) |
  2. お知らせ等
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ロープ小屋の構造

 今回は自殺説も他殺説も関係なく、血痕の発見されたロープ小屋の構造について簡単に触れます。東京都23区の昭和初期航空写真(昭和22年と昭和38年)のサービスがgooで見られますが、調べてみると昭和22年の写真にはしっかりロープ小屋が写っています。「小屋」と聞くと、小さなプレハブ小屋のようなものを連想しがちですが、実際はロープを作るという目的のため、長さ約80メートルにわたる細長い形をした建造物でした(『真実を追う』p169)。宮城音弥・二三子著の『下山総裁怪死事件』(光文社)には150メートルと書かれていますが(p161)、航空写真から見る限り、やはり80メートル前後という情報が正しいようです。手形の血痕がべっとりと付いていたのは小屋の端の扉でした(少し出っ張っている部分)。昭和44年7月号「新評」の元捜査一課主任の関口由三氏による「下山元国鉄総裁“自殺”の証拠」という記事にはロープ小屋の内部から撮った写真があります。これを見ると、長いロープ小屋の大半の部分には壁がなく外から見えることが分かります。ただ、扉付近には壁があるようですので、下山氏の死体が置かれたと推測されているのは扉周辺であろうと思われます。

ロープ小屋1
昭和初期航空写真(昭和22年)

ロープ小屋2
関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)より

ロープ小屋内部
昭和44年7月号の「新評」より


  1. 2008/10/30(木) |
  2. 血痕
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下山事件 小ネタ2

 失踪当日、千代田銀行で私金庫を開けるために使った鍵の番号は1261(昭和24年7月8日付 朝日新聞)。金庫自体の番号は3500(『語りつぐ昭和史 激動の半世紀6』p169)。この貸金庫には客用と行員用の鍵がふたつ付いていて、開けるときには行員と一緒に行かなければならない。閉めるときには客の鍵で閉めると銀行の鍵も同時に閉まる仕組み。下山氏の金庫は一番小さいタイプで、深さ二寸、幅四寸、奥行き二尺(『下山事件の謎を解く』p28)。


 当時の地下鉄三越前駅地下飲食街には「室町茶寮」と「香港」という喫茶店があった(失踪当日、下山氏に似た人物が現れたのは香港。『謀殺 下山事件』p332)。室町茶寮は国鉄幹部の会合場所として利用されていた(読売新聞、昭和24年7月7日付)。下の画像は昭和24年7月6日付の読売新聞に載っていた室町茶寮の広告。
室町茶寮


 下山氏が失踪当日に履いていた靴は次男が上智大学で配給を受けたものだが、あまりにサイズが大きかったので放っておいたのを下山氏が代わりに履いていた(『生体れき断』p164)。



 轢断現場で下山氏の上着ポケットから見つかった煙草の銘柄はピースだった(『生体れき断』p93)。下の画像は昭和24年7月6日付の毎日新聞に載っていたピースの広告。
ピース


 下山家で飼っていた犬は下山氏の失踪後、2日間餌を食べなかった(毎日グラフ、昭和24年8月1日号)。名前、性別等は不明。
犬


  1. 2008/10/19(日) |
  2. 下山事件よしなしごと
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二課は捜査会議から締め出された?

 昭和24年8月1日には午後2時から警視総監別室で特別捜査本部会議が開かれ、捜査員の意見が交わされました(『下山事件全研究』p183、『真実を追う』p252、『生体れき断』p235)。この会議について、元朝日新聞社会部記者、矢田喜美雄氏は「打ち合わせはまず各刑事から自殺、他殺のいずれかを選ぶかをきいた。会議には捜査本部といっても捜査一課の刑事たちしかいなかった。捜査二課は他殺の線を追っているので除外されたというわけだ」と述べています(『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p126)。しかしながら、実際のところは一課の刑事だけでなく、捜査二課二係長吉武氏も出席し、「私のほうは初めから他殺情報を捜査している。組合関係、共産党関係、朝鮮人関係、資金関係、女関係等をやったが、いずれも風評程度でなにも出ない」という発言記録も残っています(『下山事件全研究』p185-186、『真実を追う』p256)。以前にも指摘してきたように、矢田氏の証言というのは非常によく変るだけでなく、結構な数の事実誤認があります。しかもそれぞれが他殺説に有利な方向に間違っているのを見る限り、それは誤認ではなく意図的にやっているのではないかと思われても仕方ないのではないかという気がします。今後も同様な「誤認」は指摘していく予定です。

 上記の8月1日の会議に限らず、捜査二課が会議から除外されたという事実は私の知る限りありません。7月7日の合同会議には吉武氏が、7月21日の警視庁と検察庁による会議には捜査二課長の松本氏が出席しています(『下山事件全研究』p20、147、『真実を追う』p251、『生体れき断』p46、234)。以前のエントリで取り上げた、8月3日の刑事部長公舎での合同会議にも松本、吉武両氏が出席者に含まれています(『下山事件全研究』p186、『真実を追う』p50、257、『生体れき断』p235、昭和24年8月4日付毎日新聞および読売新聞)。ちなみに、この8月3日の合同捜査会議については、昭和24年8月4日付の読売新聞や『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』の81ページには出席した警察関係者の写真があり、吉武氏の姿も見ることができます。

  1. 2008/10/15(水) |
  2. 他殺説
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下山氏の胃の内容物

 普段胃酸過多だったにもかかわらず、解剖の結果下山氏の胃に内容物が無かったことから、朝に拉致され、その後食事が与えられなかったのではないかという説があります。下山氏の実弟のT氏はこれをひとつの理由にして他殺を信じているようです(『資料・下山事件』p569)。

 しかし、下山夫人は事件直後に「持病の胃かいようもこのごろではほとんどよくなって時々粉薬を飲んでいる程度」(読売新聞、昭和24年7月7日付)と証言しています。また、失踪前日(7月4日)には下痢をしていて、4日にお昼を食べなかったのは不自然ではないとも述べており(読売新聞、昭和24年7月27日付)、前日の下痢が5日になっても治まっていなかった可能性も考えられます。4日の下痢は相当酷かったようで、朝家を出た後、国鉄本庁までトイレを我慢できず家に引き返してきたほどだったようです。

 ただ、ふたつ目の7月27日付の証言の信憑性には疑問もあります。以前のエントリ(下山夫人の証言『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』)でも指摘したように、事件直後のごくわずかな期間における下山夫人の証言は主に自殺を危惧するものだったのですが、しばらくすると自殺を否定し始めています(7月27日の時点では既にそうです)。あくまで当ブログ管理人の個人的な印象だと断ったうえで書きますが、夫人の本当の気持ちどちらかといわれれば、事件直後の証言に近いのではないかと思います。なぜなら、自殺を否定する夫人の証言には、どことなく不自然なものがあるからです。

 例えば、上の7月27日の記事での夫人の主張(実際に記者に話をしているのは代弁者の下山氏の実弟T氏)は、失踪前日の下山氏が手持ちの弁当も食べずにあてもなくブラついていたのは、精神的な異常による奇行ではなくただ下痢をしていたからだ、というものですが、そのほかには、下山氏は昔から食べ方が上手ではなかったので、アイスクリームをボタボタこぼしながら食べたのも不思議ではない、とも述べています。具体的にその部分を引用してみます。

アイスクリームをズボンにこぼしたとか人のお茶を飲んだとか言いますが下山が若いときからものを食べるのが下手で洋行中一緒だった人はよく“下山さんは食事のとき人の前で時々ものをこぼすのでヒヤヒヤした”と笑話をしたこともありましたがいまでも時々ネクタイにミソ汁をこぼしたりしてみんなに笑われることもありました。


 今回のエントリでは憶測や印象で書いてばかりですが、それを承知したうえで言わせてもらえれば、上記の夫人の証言は自殺を否定するのに必死すぎるように見えますし、エピソードもこじつけという感じがします。しかも、下山氏はただ単に服にこぼしただけでなく、勧められたお茶を断ったすぐ後に人の飲みかけのお茶を一気に飲み、勧められたアイスクリームを断ったすぐ後に人のアイスクリームを食べる、という行動を職場で立て続けにとったのです(下山氏が精神的に疲労困憊していたことを示唆する事実については「失踪前の下山氏の行動」をご覧ください)。公平に見て常軌を逸した行動といってよいでしょう。事実それを目の前で見ていた芥川氏は、「あの時の下山さんの苦しみが、手に取るように分かった」と述べているのです(稲毛新聞 「下山事件」の取材記者の裏話)。

 夫人が証言を変えた理由や本当の気持ちは今となっては誰にも分かりようもありません。しかし、刑事や記者ではなく、ごく親しい人間には表向きの証言とは違う内容を語っていたという情報もあります(ニッポンリポート)。また、決定的な資料がないので確定的なことは言えませんが、国鉄からの扶助金という問題もあったことは確かなようです(下山氏の生命保険)。

 気がつけば今回は途中から記事タイトルと全然関係ない内容になってしまい申し訳ありません。


  1. 2008/10/13(月) |
  2. 他殺説
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末広旅館女将NFさんの記憶について

 他殺説の文献では、末広旅館女将NFさんの「下山氏らしき人物」についての記憶が「鮮明すぎる」という理由で、その証言の信憑性に疑問符が投げかけられています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p370、『葬られた夏(文庫版)』p176)。確かに彼女の証言は、人相、服装、癖に至るまで、かなり細かいところまで詳細に「下山氏らしき人物」の特徴を捉えています。今回は自殺説の立場から、どうして彼女が紳士のことをよく覚えていたのかを考えてみたいと思います。

 他の目撃現場に比べ、五反野周辺にはNFさんをはじめとして多くの目撃者がいました。それは轢断現場周辺を長時間に渡ってその人物が徘徊した、というのもひとつの理由だろうと思いますが、もうひとつ大事な理由として、当時の五反野には場違いなほどの身なりがきちんとした紳士だったということが挙げられるでしょう。NFさんを含む五反野での多くの目撃者が同様の印象を受けています。要するに、下山氏は五反野では道を歩いていても「その他大勢のうちの一人」として埋もれず、目立ってしまう存在だったのです。東京都内とはいえ場末の旅館にそんな立派な紳士がいきなりお客として旅館に来たら、じっくりと観察されて当然でしょうし、NFさんの印象に強く残るのは別段不自然なことではありません。また、その紳士が気前良くチップをはずんだのも強く記憶に残った原因のひとつだと思われます。旅館に入ると彼は二階に上がり出窓のところに腰を下ろして足を組みましたが、そうすると座っていたNFさんの目から1メートルも離れていないところに足先がきたということです。このときの様子について、末広旅館でNFさんから直接説明を受けた『生体れき断』の著者平正一氏は、「靴下の色をはっきりと記憶にとどめていることがなるほどと了解されるような気がした」と述べています(p93)。このようなはっきりとした記憶に基づく証言をしたNFさんが、前日に旅館に来た検察官の服装をよく覚えていなかったのは不自然だという見解もありますが(『葬られた夏(文庫版)』p176)、事件発生後、末広旅館に刑事、検察官、報道関係者など数え切れないほどの人間が入れ替わり立ち代り人が訪れるなか、その検察官はNFさんにとって「その他大勢のうちの一人」に過ぎず、特別記憶には残らなかったのではないでしょうか。

 また、NFさんの記憶は必ずしも全てが正確だったわけでもありません。例えば煙草ですが、紳士が帰った後に吸殻が残っていたかどうか、NFさんはルーチンワークで部屋を掃除して覚えていないのです(「たばこを何本すわれたのか、あるいは一本もすわれなかったのか、全くおぼえはありません。灰皿などはお客さまが帰られるとすぐ掃除をして、つぎのお客さまに備えるものですから……こんな大騒ぎになることがわかっておれば、注意もいたしましたでしょうが……」『生体れき断』p92-93)。紳士が「替え玉」だったと仮定して、証拠を残さないために煙草を吸わなかったのではないか、という考え方もありますが、もし犯人側がその紳士を本物の下山氏だと思わせたいのであれば、誘拐した後の下山氏自身に吸わせた煙草の吸殻を替え玉に持たせ、旅館に置いていかせるなりしたでしょう。下山氏本人に吸わせるのが無理なら、同じA型の人間に吸わせた吸殻でも事足りたはずです。当時の技術では唾液による個人識別は血液型検査くらいでしょうし、煙草に付着するくらいの少量の唾液ならABO式までがせいぜいだと思われます。細かい癖(玄関に腰をおろして靴を履き、紐をきっちりと結ぶ、など)まで周到にチェックした犯人グループが、観察しやすい喫煙という下山氏の習慣について対策を怠るでしょうか。また、もしNFさんが犯人側の人間で偽証していたのであれば、吸殻を残さないにしても、「吸殻は捨ててしまったが紳士は煙草を吸っていた」と証言するほうが目的にかなっているといえます。

 下山氏の癖のひとつに、「右利きなのにもかかわらず、右内ポケットに財布を入れて、左手で取り出す」というものがありますが(『生体れき断』p91)、この点に関しても最初はNFさんはそれほど記憶に自信がありませんでした。昭和24年7月14日付の毎日新聞には次のような記事があります。「旅館主NFさん(四八)は『この点はどうもたしかでないので実際には申し上げませんでした』と前提して下山氏と見られる人物が勘定の際、上衣の右内ポケットから財布を取り出したように記憶すると語ったが、これについて下山氏が東鉄局長時代の運転手ST君は『下山氏は左ききではなかったが財布は右ポケットに入れていた』とこれを認めている」。下山氏が右利きであることを知っていた平正一氏は、最初このNFさんの証言を聞いたときはなにかの間違いだろうと思っていたとのことです(『生体れき断』p91)。

 このように、末広旅館の女将NFさんが旅館を訪れた紳士についてよく記憶していたのはそれなりに理由があり、また、彼女の記憶が不自然で気持ち悪いほどに正確だったというわけでもないといえます。当ブログ管理人は、NFさんの記憶の鮮明度を根拠にして彼女が謀略に関与したと推理するのは、妥当性に欠けると考えます。なお、平成三部作による末広旅館に関する新しい情報に関してですが、1)NFさんの夫が特高出身だったのは事件発生直後から知られており、しかも本人・警察共にそれを隠し立てしていない、2)柴田哲孝氏の母親へのNFさんからの年賀状は実物が残っていないうえに、柴田氏自身の身内の証言である、という理由で私は重要視していません。


 NFさんの証言については、稲毛新聞報道10周年企画 【事件の裏側・連載シリーズ】 「下山事件」の取材記者の裏話(最終回)、下山氏と煙草については、事件関係ブログさんの「下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2」「下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その3 下山総裁がタバコを1本も吸わなくなるまで」もご覧ください。

  1. 2008/10/12(日) |
  2. 末広旅館・五反野周辺
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『心の貌 昭和事件史発掘』 柳田邦男(編) 文藝春秋社

 辻井喬氏(堤清二氏)と柳田邦男氏による対談形式の「下山事件 追い詰められた経営者」という章が収められています。お二人とも下山事件は自殺の可能性が高いのではないかと述べていますが、最初に柳田氏が断っているように自他殺どちらなのかを論じるものではなく、根拠はほとんど「そんな気がする」という印象だけです。対談の内容は下山事件にからめた企業論・経営論や思い出話など。この本は12の章がありますが、「暁に眠る事件 正義の名の下に」と「造船疑獄 指揮権発動がもたらしたもの」という章は下山事件に関連しているといえるかもしれません。

 ところで、拍手コメントをいただきました、しもんさん。下山事件当時の貴重なお話をありがとうございました。大変興味深く読ませていただきました。

  1. 2008/10/11(土) |
  2. 下山事件関連書籍
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小説および映画『黒い潮』 井上靖(著)

 まずは小説から。下山事件の翌年、1950年(昭和25年)出版の『黒い潮』は下山事件自殺説報道を題材にはしていますが、著者の井上靖氏も述べているようにテーマは自殺説の主張ではありません。「真実」とはなにか、「真実を追う」ということはなにか、を事件を取材する記者の生き様や思いを織り交ぜながら描くことに主眼が置かれています。ですから極端な話、この小説における自殺説と他殺説の位置が逆になってしまっても物語としては十分成立すると思います。

 主人公はK新聞社社会部の速水卓夫記者(平正一氏がモデルとされる)。派手さはなく、ややもすると影の薄い印象を与えがちですが、粘り強く執拗に仕事を追いかける、いぶし銀的な40過ぎの新聞記者として描かれています。ライバル紙が他殺説報道を憶測を交え派手に展開する中、速水記者は中立の立場を守り、憶測記事を一切排除した紙面づくりに徹しますが、センセーショナルな他紙の紙面に比べるとK紙は精彩や面白みに欠けるだけでなく、社の方針や読者のニーズともずれてしまっているのは確かでした。社内外から責められつつも速水記者が頑なに自らの報道方針を固持したのは、16年前に彼の妻が浮気相手の若手歌手とともに海に身投げした事件による深い傷、つまり興味本位の言葉による心中事件報道によって、世間の好奇の眼に晒されたという辛い経験が原因でした。その世間の眼は速水記者にとって憎悪の対象であり、「真実とは無縁で、そのくせそれを押し包み流してしまう傲岸などす黒い大きい流れ」、すなわち「黒い潮」にほかなりません。彼は下山事件報道にもその異様な黒い潮のうねりを見て取ったのです。

 その後速水記者の所属するK新聞は毎日新聞がそうだったように、警視庁自殺断定発表の誤報によって苦境に立たされますが、ここから小説『黒い潮』は独自のストーリー展開をたどり、その後しばらくして警視庁があらためて自殺断定発表をするという情報がもたらされます。この一報にK新聞社会部は息を吹き返したように活気付き、「結局は女関係じゃないのかな」、「あれだけの仕事をするには性格が弱かったんだ」、「下山の自殺の真因は、俺の書いているとおりだ」と同僚記者たちは興奮気味に議論を始めますが、速水記者は冷めた目で彼らを見やりながら「下山の自殺の原因について、つべこべ言うなよ。死んだ原因なんて、死んだ人間しか、判っちゃいないんだから」、「下山の気持なんか、下山しか知っちゃあいないんだ。他の者に判って堪るか! 死者に対する冒涜はよせ!」と吐き捨てるように言って場の空気を一変させます。同じ目標に向けて共に頑張ってきた仲間たちの内にもまた、自分が憎悪する対象の片鱗を垣間見てしまったのでしょう。ここに至って速水記者は自分が下山事件を通して取り組んで来たものが、「結局は下山総裁の死をめぐる問題ではなく、自分が持った遠い過去の一つの問題――二十歳の若い妻の死の問題」、「(妻が)死ぬ最後の瞬間まで自分を愛していたという、自分だけが抱きしめ、抱きしめていた一個の真実」であることに今更のように思い当たるのでした。その「真実」が彼の心の中に存在する限り、一時は真剣に考えた、彼を想い慕う美しい女性との再婚もやはり自ら諦めざるをえなくなる……というところで物語は終わります。

 この小説のキーワードはやはり「真実」だろうと思いますが、著者の井上靖氏は、「一体新聞記者で長いあいだメシを食っていると、事実を客観的に軽く書いてゆく職人カタギに堕すか、事実のもっている真実は人間わざではちょっと探り出せないことが経験的にわかってゆくおそろしさに気づいてゆくかの分れみちがかならずやってくると思う。…(中略)私が『黒い潮』に書いた「速水」という新聞記者は良識が真実をみつけ出すというオプティミズムには加担できないで、新聞記者としてそのような限界を越えなければ真実にぶち当れないと内心つよく考えている姿を書こうとした。新聞記者ならば、そういう限界を越えてはならないと私は思う。そしてそれを越えなければ真実はみつけ出せないのだとも思う。ここに新聞の限界もあり、新聞記者の限界もあろう」と述べています。新聞記者にかかわらず「真実」には他人はそう簡単に踏み込めない、また踏み込むべきでもないのでしょう。その真実を呑み込む黒い潮を生み出す装置として描かれているのがセンセーショナルな憶測報道ですが、松本サリン事件等でマスコミが何をしてきたかを思いおこしてみれば、この作品が今も変らない普遍的な題材を扱っていることが分かります。ただ、これはマスコミのみの問題ではなく、同時に報道を受け取る我々側の問題でもあるかもしれませんが。

 井上靖氏は、毎日新聞社に10年ほど記者として勤務していますが、下山事件報道でデスクを務めた平正一氏とは直接の面識はありませんでした。小説執筆の準備に際しても、事件当時社会部長だった黒崎貞治郎氏などには取材していますが、平氏には「会わないほうが主人公を自由に描ける」という理由で面会を求めなかったということです。なお、主人公速水記者の妻の心中事件というエピソードに関してですが、私は平氏にこのような過去はなかったのではないかと思います。井上靖氏は平氏だけでなく数人の記者のクセや態度を借りて速水というキャラクターを作ったと述べています。




 次に最近観た映画『黒い潮』について。俳優の山村聰氏が監督兼主演をこなしています。映画『黒い潮』はストーリーを始め人物名、新聞社名など若干の変更があります。まず最初に国鉄総裁が列車に飛び込んで自殺する、小説にはないシーンから映画は始まりますが、これについて原作者の井上靖氏は「作品の主題を強く前面に押し出すために、映画化の場合、こうした仮説的手法が必要であったと思うし、またそれが賢明であったと思う。これによって、誰にも知られず、一つの真実がどこかに厳として坐っているという作品の主題は、少しも傷つけられていない」と述べています。また、上に述べたように小説では警視庁自殺断定発表が再度おこなわれる、というストーリーでしたが、映画ではそのような展開はなく、誤報をした時点で社会部は懲罰人事でバラバラになって終わります。

 主題および基本的なストーリーは小説と同じなので以下に雑感を。興味深かったのはやはり1954年と下山事件発生からそれほど時間を経ずに製作された映画であるために、今日の日本との世相、習慣、風俗等の違いは見ていて非常に興味深いものがありました。例えば新聞社の編集部内の氷柱。クーラーのない当時、夏には必需品だったのかもしれません。記者たちは氷柱の周りに集まって触ったり、氷に付けて冷やしたタオルで顔を拭ったりして(タオルは共有? 汚くないのか?)暑さをしのいでいます。また、女性(津島恵子氏が演じています)を何時間も料亭に待たせたにもかかわらず、約束に遅れてきた速水記者がろくに謝りもしないなど、今の男性ではちょっと考えられないような態度で、時代を感じさせます。

 下山総裁らしき人物が休憩したという末広旅館が「末吉旅館」として作中に登場しますが、これは本物の末広旅館を使ってロケをしており、下山事件関係の文献を見ても古く不鮮明な写真しか見られないことを考えれば貴重です。また当時の五反野の雰囲気も伝わってきます。面白いことに東野村記者役の俳優さん(信欣三氏)が作中で「秋山はあの日、五反野駅近くの末広旅館といううちで休んでるんです」と本当の旅館名を間違って言ってしまっています(映画では国鉄総裁の名前は下山ではなく秋山)。

 監督兼主演の山村聰氏については、原作者の井上靖氏も絶賛していますが、原作の少し枯れたイメージの主人公とはやや異なるような気がしました。山村氏の演じる速水記者はタフで強過ぎ、私個人としては小説の主人公のほうが好みでした。最も印象に残る演技をしていたのは、社会部長役の滝沢修氏だったように思います。彼の渋く味のある演技だけでも見る価値のある映画でした。ストーリーも演技もシリアスなはずなのに、なぜかどことなくユーモラスな感じのする柳谷寛氏演じる筧記者の「妙ちくりんな時代がまたやって来てるんだ! 俺たちが手を緩めたら誰がやるんだ!」という台詞も印象に残りました。

 山村聰氏から原作者の井上靖氏に映画化の話が初めて来たのは昭和27年だったようですが、そのときには井上氏は下山事件に対する世人の見方が混沌としていて誤解を生む可能性があったので躊躇したということです。しかし再度山村氏が映画化の提案をしてきた昭和29年初旬には、井上氏は快諾しています。それは「時代は僅かの間に、すっかり変っていた。もはやいかなる方面からも利用される心配もなく、誤解を招くおそれもなかった。下山事件そのものが、全く過去のものとなり、それに対する世人の考え方も、従って冷静になっていた」からだといいます。その後、下山事件に対する人々の見方は再び混沌として現在に至っているように私は思います。なお、このエントリ中の井上靖氏のコメントや意見は『養之如春 井上靖エッセイ全集 第三巻』(学習研究社)所収の「事実の報道が触れ得ぬ面を」と「暗い透明感 ―原作者として観た映画「黒い潮」―」というエッセイで読むことができます。


関連記事
・矢田喜美雄氏と平正一氏
・三大新聞社と下山事件報道



追記
 警視庁捜査一課長として実際に下山事件に関わった堀崎繁喜氏がのちに「黒い潮」という言葉を使って以下のような証言をしています。「黯い潮だよ……国民が警察に対して信頼を失ったら一体どうなるか。日本を暗やみにしたくなかった。それが8月3日の合同捜査会議に臨んだ時の捜査一課の態度だった」(『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』、p81)

  1. 2008/10/06(月) |
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