五反野の轢断現場周辺は、東京とはいえ当時は決して賑やかとはいえない場所でした。しかし、実際には意外と通行人が多かったことが分かっています。
戦後の食料不足もあって、水田や沼地の多い現場は食用蛙の養殖地であり、毎晩何組かの蛙取りがいたようです。当日夜にも蛙取りをしていた人たちはいましたが、ほかの蛙取りを見た以外は現場付近では誰とも会っていないと述べています。それ以外にも周辺住民が荒川放水路に涼みに出てきたり、線路沿いに仕事帰りの女性二人や、酔っ払いの男性が歩いたりしていました(『下山事件全研究』p52、57-59、100)。
また、現場は「ドロボー道」と呼ぶ人もいたほど、窃盗犯が検問を避ける際によく利用する経路で、現に事件当夜も盗みをはたらくためそれぞれ午後11時と午前2時頃(窃盗の行き帰り)に窃盗犯が線路づたいに歩いています。そのため、警察も手柄をあげたいときには夜に張り込みをするような場所でもありました(『下山事件全研究』p529-530)。下山事件が他殺だとすると、五反野の現場は犯人グループが下調べをきちんとすればするほど、避けたくなるような場所といえるのではないでしょうか。
- 2008/05/04(日) |
- 末広旅館・五反野周辺
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