下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

下山氏の職場での立場

 技術畑出身者が東京鉄道局長にまで登りつめることは異例で、昭和21年3月に昇格した下山氏もそのポストを最後の椅子だと考えていたようです。事実、その頃鉄道から退く意志があったようで、国鉄の先輩等に就職先の斡旋を頼んだりしています(『資料・下山事件』p453、『生体れき断』p207-208)。しかし、下山氏はついに最後まで鉄道から離れることはできませんでした。

 昭和23年4月に伊能繁次郎運輸次官が汚職問題で退陣すると、下山氏は東京鉄道局長から昇進しその後釜に座らされることになりました。技術畑出身で本省局長の経験もない彼が二階級特進で次官に昇格するとは誰も予想しなかったことだといいます。順当にいけばこのポストには加賀山氏がおさまるものと見られていましたが、加賀山氏は伊能氏と同じ派閥に属していたことや、元次官の佐藤栄作氏も加賀山氏の昇格には難色を示したこともあり実現しませんでした。以前から辞めたがっていた下山氏ですが、次官時代もやはり「運輸省には鉄道、海運の両総局長がいて、実権は両者に握られている。次官は浮き上がっている存在だし、部内には種々の内紛もあるので早く辞めてしまいたい」と国鉄の先輩に漏らしていました(『生体れき断』p209)。運輸次官というポストは閑職であったらしく、暇なうえに国鉄の状況に関する情報がまったく入らず、下山氏は相当不満だったようです(『下山事件全研究』p609、『下山総裁の追憶』p289-291、300-303)。また、当時の運輸省には「堀木閥」という勢力がありましたが(中心の堀木鎌三氏は昭和21に鉄道総局長を最後に運輸省を去り、鉄道弘済会の理事長に。その後参院当選2回、厚生大臣も勤める)、技術系の下山氏とその周辺の人たちは堀木閥にとっては面白くない存在だったようで、彼らとの間に摩擦もあったものと思われます。ちなみに加賀山氏は堀木閥の最右翼でした(『生体れき断』p208-209)。この時期、知人には「役人生活はつくづく嫌になったがやめさせてくれないから」と漏らしており、下山氏の退陣の意思は更に強まったものと思われます(『資料・下山事件』p356、452、457、468、473、477、483)。

 ところがまたもや自らの思惑とは関係なく、今度は初代国鉄総裁、しかも大量首切りという辛い任務を伴った大変な役がまわってきます。当初は財界の有力者を引き抜いて総裁にすえる予定でしたが、結局誰も引き受けようとはせず、国鉄の加賀山氏も人員整理の貧乏くじを引くことはない、早まるべきではないと周囲から進言されてとどまったようです。人選が行き詰まり困り果てた大屋晋三運輸大臣は、国鉄発足わずか一週間前になって下山氏に白羽の矢をたてました。国鉄から離れたがっていた下山氏ですが、困り果てた大屋氏の立場を察し、やむなく引き受けた総裁の椅子でした(『資料・下山事件』p434、458、461、465、468、471、481)。次官は辞めるつもりだ、二階に上げられてハシゴをはずされた、と知人に話をした数日後のことです(『生体れき断』p211)。

 『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏は、下山氏が運輸次官時代に加賀山氏らとともに国鉄発足のための機構、人的配置の立案などに参加していればその後の状況は違っていたかもしれないと述べています(『下山事件全研究』p611)。しかしながら次官時代にはただ外から眺める立場にあり、人とのつながりを持たなかった下山氏は総裁就任後、堀木閥の加賀山体制のなかで孤立していったものと思われます。下山氏が技術系と事務系の関係に悩んでいた節があること、一日も早く苦境から逃れ参院選に出ることのみを頼みにしてようやく生きることに耐えていたようだったと当時の知人は語っています(『資料・下山事件』p472、『生体れき断』p216)。

 平正一氏は、国鉄内部で有力な派閥に属さず孤立気味であったこと、共産党に狙われる恐怖、大量首切りに伴う良心の呵責などが下山氏をじわじわと追い詰め、そして7月4日の国鉄内部での打ち合わせが下山氏の心に決定的な打撃を与え、その後の不可解な行動(「失踪前の下山氏の行動」)につながったのではないかと考えています。7月4日午前中の会議で、第一次整理発表後の労組からの抗議が予想されたため、国鉄幹部は下山氏に国鉄本社からの退出を促しました。下山氏はテーブルを叩いて「ぼくは外には出ない、徹夜してもここで頑張るんだ」と拒否しましたが、各局長は最終的には彼を退出させています(表現の問題で、実際のニュアンスは分かりませんが、『資料・下山事件』p460によると職員局長は下山氏に「あんたは外に出ていてもらえばよい」と言ったようです)。局長たちには下山氏を疎外しているつもりはなかったかもしれませんが、激しながら拒否した下山氏の意に反してまで退出させた意図は理解しがたいものがありますし、部下一同にそういう対応をされた下山氏の心境はどうだったのでしょう(『生体れき断』p218-219)。

 以上、東京鉄道局長時代からの下山氏の職場での立場を見てきましたが、退陣の意思や派閥の問題からくる懊悩は国鉄総裁に就任してから始まったものではなく、前回のエントリで触れた経済問題とともに下山氏の心に長い間暗い影を落としていたと考えてよいと思います。

 ちなみに、国鉄労働組合本社支部書記長によると、下山氏失踪後の7月5日から6日朝にかけての国鉄本社局長会議室で局長たちは自殺を示唆していたということです。総裁失踪後、国鉄内部が混乱を極めていたので、当局側に気づかれずに局長会議室の様子を知ることが出来たようです。この情報をもとに労組は早くも6日早朝に「下山総裁は自殺」という壁新聞を国鉄本社玄関に貼りだしましたが、あまりに時期が早かったため疑惑の目で見られたというエピソードもあります(『下山事件全研究』p30、595)。
  1. 2008/04/03(木) |
  2. 下山氏の精神状態
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