下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

矢田喜美雄氏と平正一氏

 紹介するまでもないかもしれませんが、矢田喜美雄氏は朝日新聞社会部の記者でした。大学の競争部時代にはベルリンオリンピックに走り高跳びの選手として出場し、見事5位入賞を果たしています。『夢追い人よ』の著者、斉藤茂男氏によると矢田氏はとにかく明るくパワフルだったようで、南極観測隊派遣を実現させたり、シルクロード踏査行やミロのヴィーナスの日本展のプロモーターになるなど、新聞記者という枠にはまらない人物だったようです。新聞労連が組織した朝日労組支援デモのときも、米軍払い下げの戦闘帽、野戦服、軍靴で宣伝カーの上で強烈なアジ演説をしたとのこと。下山事件に関する活躍だけを見ても、並外れたパワーをもった人だと分かりますし、東大法医学教室に特別研究生として出入りするなど、やはり新聞記者という枠に収まり切っていないという印象です。その型破りな人柄から、藤沢桓夫の小説『新雪』の主人公のモデルにもなっています。著書の『謀殺 下山事件』は松本清張氏の『日本の黒い霧』と並んで、下山事件関連文献のなかではもっとも多くの人に読まれているのではないでしょうか。

 平正一氏は下山事件を担当した毎日新聞社会部の記者です。「事件に強く、見込みで記事を書かないという信条の持ち主」で「予断をも持たず、冷静に事実を積み上げて報道する姿勢に徹していた」そうです(『毎日新聞社会部』p14)。「根拠薄弱な、流言に類するものを他殺の資料として報道することは、われわれの記者的良心が許さなかった」、「推理は空想ではない。一定の事実に基づいて、その上に発展し、構成されたものでなければならない。もし基礎事実を無視して、その上に構成されたものであっては、蜃気楼にすぎない」という言葉にもよく平氏の姿勢が表れているように思います(『生体れき断』p59、122)。下山事件の報道に関しては読者から非難の投書が届いたり、「科学を軽視している」と朝日・読売両新聞から批判され、また社内からも共産党の手先ではないのかと社会部に対する批判の声が上がるなか、結果的に大誤報となってしまった警視庁の自殺発表記事(昭和24年8月3日付の1面トップに「下山事件近く結論発表」「特捜本部、自殺と断定」「きょう合同会議」と5段見出しの特大記事を掲載)によって彼らは決定的に孤立無援となりました。この後、懲罰人事で下山事件取材班はバラバラとなり、平氏にも熊本支局長とする辞令が出されました(約10年後東京本社地方部長として復帰)。社会部の若月五朗記者の送別会には当時の警視総監、田中栄一氏が訪れ、制服のまま頭を畳にすりつけ「どうか、お察しください」と平伏し動かなかったそうです。このときの下山事件報道を題材とした井上靖の小説『黒い潮』では、平氏は主人公速水記者のモデルになっています。昭和34年に毎日新聞社を退社した後もライフワークとして下山事件の取材を続け、昭和39年(1964年)には取材と考察の集大成『生体れき断』を上梓していますが、それからあまり時を経ず昭和42年1月にお亡くなりになっています。

それぞれ著書を読んでみると……お互い仲悪そうです…。


※矢田喜美雄氏については、「翔んだ男 矢田喜美雄」もご参照ください。


【参考文献】
斉藤茂男著 『夢追い人よ』(築地書館)
平正一著 『生体れき断』(毎日学生出版社)
毎日新聞社編 『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』(毎日新聞社)
毎日新聞社編 『20世紀事件史 歴史の現場』(毎日新聞社)
矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件(文庫版)』(新風舎)
山本祐司著 『毎日新聞社会部』(河出書房新社)
  1. 2008/03/22(土) |
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