アメリカの国立公文書館などで発掘したGHQの英文文書の内容を週刊誌が取り上げたりすることがしばしばあります。下山事件についても「○○メモ」のように呼ばれる文書がいくつかありますが、いざ記事を見てみると、ほんの一部を訳しているだけだったりして、文書の内容全体を知ることはできません。別に週刊誌を信じないわけではありませんが、一部のみを全体から切り離して記事にすると、印象操作などが簡単にできてしまいます。文書発掘時の苦労話や内容の解釈などは省略して、全部原文で載せてくれたらいいのにと思うことがあります。それでは記事にならないのは分かるんですが…。原文をすべて読める形で載せてこそ、発掘した意味があるのではないでしょうか。
- 2008/03/09(日) |
- 下山事件よしなしごと
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アンザッツ・ブルートゥング(Ansatzblutung)という聞き慣れない言葉は何かというと、
「法医学論争(12) 死後轢断鑑定の妥当性の検討−その3 現代の法医学から見た下山事件」で簡単に触れた「筋線維と骨との附着部における出血」を意味するドイツ語です。明確な生活反応に乏しい轢死体ですが、アンザッツ・ブルートゥングが認められれば生体轢断だと考えてもよいようです。管理者がこの言葉を知ったのは、『法医学のミステリー(文庫版)』(中央公論社)という文献でした(ひとつの章が下山事件に割かれています)。著者の渡辺孚氏は古畑氏の元で学んだ法医学者です。
「法医学論争(12) 死後轢断鑑定の妥当性の検討−その3 現代の法医学から見た下山事件」の記事を書いたときには未読でしたが、この『法医学のミステリー』という文献に、東大法医学教室が下山氏の司法解剖の際にアンザッツ・ブルートゥングの有無を調べたのかどうか、そのヒントが次のようなエピソードとともに書かれていました。
古畑氏の後を継いで東大法医学教室の教授になる上野正吉氏(当時北大)が昭和26年の日本法医学会での講演中に、それを聴いていた中館氏に壇上から「あなたはアンザッツ・ブルートゥングをご存知ですか?」と質問したのだそうです(演者が壇上から聴衆に質問するのは珍しいとのこと)。中館氏はどうやら知らない様子で、上野氏としては「アンザッツ・ブルートゥングも知らずに新聞記者相手に自殺説をぶつのはけしからん」という気持ちだったようです。しかし、知らなかったのは東大も同じようで、下山氏の司法解剖では調べられなかったらしいのです。中館氏も知らず、東大でも調べなかったアンザッツ・ブルートゥングは、轢死の法医学が未成熟だった当時の日本の法医学者には浸透しきっていない概念だったのでしょう。
読んでみると著者の渡辺氏の下山事件に対する態度は、自他殺不明か、もしくはやや他殺説に近いと思われますが(法医学ではなく、矢田喜美雄氏や松本清張氏らの情報を元に)、少なくとも東大の法医学鑑定に関しては次のようにはっきりと意見を述べています。
…(略)根拠の弱い理由によって、死後轢断の結論を出している。明らかに傷口からもっと内部の検査をしていないことが、この発表の仕方によって歴然とする。本来は轢断が死後のものであることが積極的に証明されて、しかる後に死因は何かの追求に進むのだが、死後轢断そのものの証明はできていない。(p160)
…(東大法医学教室教授就任後も一貫して自他殺について明確な判断を下すことを控えた上野氏の姿勢について)当時の東大における解剖検査が十分にされずに、死後轢断の結論が出されて、その結論にまで導く大切な部分の論理に無理があるというふうに受け取れる。(中略)到底自殺したとは考えられない、という先入観に強く左右されたために、検査そのものが杜撰と言われても仕方がないような結末になったのではないか、というふうにも受け取れる。(p164)
もし古畑教授をはじめ東大勢に、死後轢断の学問的根拠が十二分にあって、自信をもって内外に主張することができるなら、陰でぶすぶす言うのではなく、警視庁のこの結論(※自殺という結論のこと)に対して、なぜ堂々と論ばくすることをしなかったのか。学問上のむずかしいことを知らない一般の人たちも、当然こうした疑問を抱いたに違いない。(p167)
- 2008/03/09(日) |
- 法医学論争
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最近
血痕関連の記事をアップしていますが、柴田哲孝氏は死体運搬ルートや血痕群に関して従来の矢田氏や古畑氏のものとは異なる説明をしているので、ここで少し触れてみたいと思います。
柴田氏は、プロである犯人グループが、いくら深夜だとはいえ裸のままの死体を抱えて何百メートルも線路上を歩くはずはなく、死体をゴム袋に入れて轢断現場まで運ばれたはずだという推理をしています。現場到着後死体をゴム袋から出して轢断現場に横たえ、空のゴム袋を手に荒川土手方面に線路上を歩いていった際に犯人らが残していったのが、点々と続く血痕だと考えれば辻褄が合うのだと主張しています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p379-382)。
確かに辻褄は合っているとは思いますが、その着想の元になったのは、李中煥の証言と彼が作ったという下山氏が黒いゴム袋に入れられている合成写真でした。注意深く読んでもそれ以外には理由らしい理由は書いてありません。しかし柴田氏は佐藤一氏の『下山事件全研究』で取り上げられている当時の新聞から、自説を裏付けるような記事(記事の題名は「死体を包んだ? 天幕の布・西新井現場付近のドブ川から」。読売新聞、昭和24年7月11日)を発見します。記事の内容は、天幕とネルが末広旅館前のドブ川にあがったが何者かがそれを持ち去ってしまい、警察が捜査を開始した、というものです(『下山事件全研究』p74-75)。佐藤氏も述べていますが、現場近くではなく1キロ近くも離れた、しかも問題となっている末広旅館の前のドブ川から見つかったというのは、話ができすぎていますし、もし柴田氏の推理が正しいなら、犯人らは死体を置いた後でわざわざ血まみれのゴム袋を末広旅館の前に捨てに来たのでしょうか。
拾い主も翌日にはあっさり見つかり、捜査は打ち切りとなりましたが(『下山事件全研究』p86、90、95)、柴田氏が注目したのはシートに包んであったロイド眼鏡でした。管理人はこの事実だけをもって下山総裁のロイド眼鏡と直結させるのは必然性がなさ過ぎるのではないかと思います。警察が強引にゴム引シートの捜査を打ち切ってしまったというのも特に根拠が示されているわけでもなく、柴田氏がそう書いているだけです。五反野の現場には矢田喜美雄氏のような他殺説の急先鋒で捜査一課に批判的な人もいたわけですが、その矢田氏ですら著書でこのゴム引シートには言及していません。そもそも死体がゴム袋に入れられて運搬されたのではないか、というのは柴田氏自身も認めているように「思いつき」に過ぎず、しかも李中煥の情報がある程度正しく、「下山総裁の死体がゴム袋に入れられた事実を李中煥が知っていたのではないか」という憶測が前提になっています。李中煥の証言は布施検事が自ら調べ、嘘だということが明らかになっていますが、柴田氏はそれをプロパガンダと見なしているため、嘘の中に一定の真実が紛れ込んでいるはずだとしています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p490)。柴田氏流のプロパガンダの定義等は既に
「プロパガンダと真実と嘘」で述べたとおりです。
ところで柴田氏は自著で引用する際に省略してしまっていますが(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p383)、ロイド眼鏡のほかに、キナ鉄ぶどう酒ビンや割れ目のはいった象牙のパイプなどが白ネルとともにゴム引シートに包んであったそうです(柴田氏が省略したのは、
「そのほかにも、キナ鉄ぶどう酒ビンや割れ目のはいった象牙のパイプなどがあり、」という非常に短い文章です)。このゴム引シートのエピソードは、柴田氏が自著で唯一『下山事件全研究』を引用している箇所です。なお、『資料・下山事件』所収の下山白書では、ゴム引シートについて「古く汚れており、お産の後始末をするために布に包んで捨てたものと認められる」と報告されています(p376)。
- 2008/03/09(日) |
- 平成三部作
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