下山氏が失踪する前日の7月4日のお昼近く、鉄道弘済会本部に下山氏殺害を予告する電話がかかってきた事実は他殺説の文献には必ずといっていいほど書かれています(『謀殺 下山事件』p299-300、『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p56)。
「一言伝えておくことがある。今日か明日、吉田(茂)か下山かどちらかを殺してやる。お前が騒いだり人に言ったりしたら、お前も生かしておかない」。電話を取った人物(うちのブログでは仮に「伊藤博文」さんとしましょう)が名前を訊くと、「誰でもいい。いずれ革命のときがきたら、戦場で白黒をつけよう。その時になればわかる」と答え、電話は切れました。
非常に緊迫したやり取りです。ですが、電話をかけてきた人物はその前に次のようなことを言っていました(矢田氏も柴田氏も省略しています)。「もしもし、伊藤さんですか、伊藤ヒロブミさんですか、伊藤ハクブンさんというんですか」(『生体れき断』p76)。緊張感が一気になくなったように思うのは管理者だけでしょうか。電話を受けた人物が友人のいたずらだろうと思い、笑いながら「どちらでもいいじゃないか」と答えたのも無理もありません。この「どちらでもいいじゃないか」の後に続くのが、相手側の「一言伝えておくことがある」以下の言葉です。
このブログでは基本的に人名はイニシャルにするというルールですが(
「はじめに」)、そうするとわけが分からなくなるので今回は伊藤博文という仮名を使いました。実際の電話でも、名前の読み方についていきなり質問しています。ところでこの電話を受け取った人物に絡んだとても面白い記事が
事件関係ブログさんにあります。事件関係ブログさんのほうでも実名は伏せて、Mとしています。
- 2008/03/08(土) |
- 下山事件よしなしごと
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下山氏の司法解剖をし鑑定書を作成した桑島氏は後に横浜市立大学法医学教室の教授になっています。昭和61年1月13日付けの産経新聞によると、横浜市立大学法医学教室には下山氏を解剖した際の写真や組織標本が”開かずのロッカー”の中に保管されているとのことです。この産経新聞の記事が出てから既に20年以上が経っていますが、今でもその資料は保管されているのか興味のあるところです。東京地検に提出されたという鑑定書もやはり未公開のままです。「下山白書」以外の捜査関係資料も現在のところ公開されていません。こういった重要な資料がいつか公開されることはあるのでしょうか。資料が自殺説、他殺説のどちらを支持するものであろうと、それらが公開され真実が明るみに出ることを管理者は望みます。
- 2008/03/08(土) |
- 法医学論争
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平正一氏は線路上の血痕について、女性の生理血である可能性を指摘しています(当時の列車のトイレは外に垂れ流しでした)。汚物の放出口はレールの外側にあるとはいえ、風の強い日には内側の枕木まで飛ぶことも考えられる上、轢断現場近くにはシグナルがあり、列車は徐行・停車することがあったはずで、必ずしも列車外に出た血が霧状になるとは限らないでしょう(『生体れき断』p156)。管理者の個人的意見ですが、『謀殺 下山事件(文庫版)』(新風舎)p164-165に書かれている、「轢断点から五十三・八メートルから一二十一・六メートルまで」の間の「右側レールの外にはみ出ている枕木の端ばかり」に発見された「コメ粒ほどの大きさの」血痕は、走行中の列車のトイレから外に出たものである可能性が高いと考えています(死体運搬のストーリーでは、この米粒大の血痕も大きな血痕も同じ扱いをされています)。また、現場近くは飛び込み自殺の多い場所で、それまで30人あまりの自殺者があり、下山氏の轢断地点とまったく同じ場所ではないものの昭和24年に入ってからも既に2人の自殺者が出ていました。探索に使われたルミノールは微量の血液でも検出できるだけでなく、新しい血液よりも古い血液により鋭敏という性質をもっています(『下山事件全研究』p413-414、『生体れき断』p155-156、『資料・下山事件』p291、『血痕鑑定』p32)。
こういった主張は突き詰めれば、「血痕は轢断現場周辺だけにしかなかったのか?」という疑問に行き着きます。これは忘れられがちですが、血痕に特別な意味を付与する上では非常に大切な前提です(同じようなことは「下山油」にも当てはまります)。警察関係者は、列車のトイレは垂れ流しなのだから線路上にルミノール反応があるのは当たり前と考えていたようですが(『真実を追う』p165、『資料・下山事件』p292、『刑事一代』p230)、実際に荒川鉄橋より遠く(上手)に調査範囲を広げたりしたことはなかったようです。もし実際に調査していれば、荒川鉄橋よりも更に上野方面に向って血痕が見つかる可能性は低くなかったのではないでしょうか。そもそも矢田氏らが血痕を探す範囲を荒川鉄橋付近までで終了したのは、ルミノールの残量も関係していたと思われます。もしあのときのルミノールがもっと大量にあり、探索範囲がもっとずっと広かったならどうなっていたでしょう。死体運搬ルートのきれいなストーリーは作れたのでしょうか。実際、轢断現場より下手方面をその後調べた警視庁鑑識課の岩田政義氏は次のように述べています(佐藤一著 『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』 三一書房、p79)。
旅客列車からは糞便が排出されているし、女性の生理血液も散乱するのだから、線路上はどこでも血痕反応は出ますよ。事実、あれから轢断点下手の綾瀬より上り線を検査してみましたが、いたるところに血痕反応がありました。だから問題になりませんよ。第一、あの血痕という奴が古いんです。事件当時の血液なんてもんじゃないんです。
仮定の話はこれくらいにしますが、矢田氏らが調べた範囲内についてでさえ、荒川鉄橋の工事用渡り板で検出された血痕は矢田氏も柴田氏もはっきりとした理由は書かずにストーリーから除外しているのです(柴田氏は工事用渡り板で血痕が発見された事実には触れていないので当然といえば当然ですが)。
- 2008/03/08(土) |
- 血痕
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