他殺説の立場からの下山事件研究の第一人者、矢田喜美雄氏はロープ小屋の扉についていた血痕の血液型についてどう認識していたのか、少し詳しくみてみたいと思います。
「血痕群の分布状況」で既に見てきたように、『謀殺 下山事件』と『資料・下山事件』では矢田氏自身の血痕群の血液型に関する証言内容が違うのです。『謀殺 下山事件』は1973年に刊行されましたが、ここではロープ小屋の扉に付いていた血痕の血液型はAMQ型だとはっきり書いています(新風舎文庫版、p180-182)。しかし、1969年刊行の『資料・下山事件』(みすず書房)では、ロープ小屋の扉から出たのはAMであると述べています(p505)。『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏はかつて下山事件研究会に所属し、『資料・下山事件』の編集に携わりましたが、その際「AMQ型の血痕はシグナル付近とロープ小屋からみつかった」という事実の確認を矢田氏に求めたところ、「ロープ小屋の血痕はAMであった」とわざわざ訂正してきたとのことです(『下山事件全研究』p425-426)。矢田氏自身の筆による、訂正された原稿の写真も『下山事件全研究』で見ることができます(p426)。したがって、『資料・下山事件』での矢田氏の証言は勘違いなどではないと思われます。矢田氏は東大法医学教室に深く関係していたので、血液型鑑定の結果の詳細を知り、しっかりと記録できる立場にいたはずです。それにもかかわらず、ときによって証言内容が変わるというのは非常に不可解なことです。記録資料の整理のしかたが下手なのか、それともなんらかの意図で証言をその都度変えているのかは分かりませんが、ときとして矢田氏の証言は信用ならないというのが管理者の印象です。
- 2008/02/24(日) |
- 血痕
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0