下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

法医学論争(11) 死後轢断鑑定の妥当性の検討−その2 北大錫谷徹氏による下山事件再考

 北大医学部法医学教室教授だった錫谷徹氏は著書『死の法医学 下山事件再考』(北海道大学図書刊行会)のなかで、現代の法医学から法医学論争を見直し、桑島氏の解剖所見をもとに独自の主張を展開しました。以下にその概要を紹介します。

 まず錫谷氏は古畑氏の「轢断面に生活反応が認められないから死後轢断である」という主張と、中館氏の「局所周辺の皮下出血は生体轢断の証拠」という主張の両方を否定します。

 古畑説を否定する理由は佐藤一氏のものと同じで、生活反応を欠くケースは轢死体ではしばしば認められることであって、生体、死後轢断かの判断材料にはならないからです。轢断により即死したか、衝突の瞬間に心拍動が停止し心臓がポンプとしての機能を失った後に轢断されれば、出血を欠くのは「当然」だと述べています。轢断面の生活反応が生体、死後轢断の判断の役に立つのは、それがはっきりと認められる場合のみなのです(その場合にのみ、生体轢断だと結論できます)。

 また、身体各部の皮下出血と溢血点は真の生活反応としての出血なのか、死後の血液流出であるのかは資料からは判断できないとしています(したがって「法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖」で解剖所見の横にカッコつきで生体反応と記してあるのは、あくまで桑島氏がそう判定したという意味です)。桑島氏が主張した死因としてのショックも、死後轢断と決めてかかったため列車との衝突による心臓の損傷を死因として除外しなければならず、しかし他には適当な死因を探し出すことが出来なかったために、本来解剖所見だけからは導き出せないはずのショックという概念を持ち出したのだと述べています。

 中館氏の言う局所周辺の皮下出血も死後轢断でも起こる可能性が十分あるため(睾丸出血などは生理現象というより、下腹部が圧迫され血管の内圧が上昇し、末梢の毛細血管が破裂することよって生じる物理現象の可能性が高い)、生体、死後轢断の判断材料にはならず、他殺説を否定する根拠にはなりません。また、「生体轢断でも生活反応を欠くことがある」という中館氏の主張は他殺説を批判する理由としては妥当ですが、生体轢断の根拠にはなりません。

 この後、錫谷氏は列車の構造と死体所見を結びつけた独自の視点から、轢断時には下山氏は立位であったという主張を展開します。錫谷氏が注目した解剖所見は、肋骨が破砕され、心臓は破裂するとともにそれを支持する大血管が離断して右肩の離断面まで転位していたという点です。これほど重大で胸部が扁平化するような損傷があるということは、胸腹部前面のほぼ全体に鈍体による極めて大きな外力が加えられたと仮定しなければなりません。下腹部が破裂し多くの臓器が体外に出てしまっている理由も、この胸腹部前面の広い範囲にわたる外力が原因だと考えられます。もし下山氏が以前言われていたように線路上に横たわっていたのであれば、地面と列車の底面との間(31センチメートル)で胸腹部が扁平化するほどの圧迫を受けることはありません。したがって、列車の構造と死体所見から総合して、下山氏は衝突直前には立って列車前面(前端梁)と衝突したと考えなければ胸腹部前面への受傷は説明できないとしています(衝突時に立位だったことは「ほとんど断定に近い確からしさをもって推定される」と述べています)。

 死因は心臓離断で、衝突時の姿勢が立位であることから、自然に考えれば事故死か自殺だとしています。死後経過時間の推定は轢死体では困難で、死後12時間ないし18時間、もしくは死後12時間ないし24時間という広い幅をもった推定しかできないようです。死体硬直を指標にしても、轢断面はもちろんその他の部位の筋肉も損傷が大きい轢死体では、一般死体の基準をそのまま適用できません(p202)。

 最後にかなり大雑把にですが、前回の佐藤氏の生体轢断説と比べてみましょう。轢断面の生活反応が生体、死後轢断の判断材料にならないという点では両氏とも同じです。意見が違うのは睾丸出血についてで、佐藤氏は中館氏と同じく生体轢断の根拠としていいのではないかと主張していますが、錫谷氏はこれもやはり判断材料にならないとしています(しかし、生体轢断で睾丸出血が頻繁に認められることを示すことによって、古畑氏も満足しなかった「局部蹴り上げによるショック」という稀な死因を持ち出す必然性はさらに弱められるとは思います)。そして錫谷氏は成傷体(この場合列車のこと)と死体所見を丹念に照らし合わせることによって、独自の結論に辿り着いたわけです。

 佐藤氏の説は「生体轢断と考えたほうが自然」というレベルなのに対し、錫谷氏の説は「生体轢断と考えなければ説明できない」という更に高いレベルの主張だといえます。

 次回は更に新しい資料を紹介します。



「胸腹部を扁平化する外力」「轢断列車と成傷機序」もご参照ください。
  1. 2007/12/20(木) |
  2. 法医学論争
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プロパガンダと真実と嘘

 柴田哲孝氏は著書で「プロパガンダには真実と嘘の両方が含まれる」と繰り返し述べています(プロパガンダと同じ意味で「偽情報」という言葉も使っています。『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p78、80、219-221、362、439、490、528)。この原則に則って柴田氏は、過去に偽情報と判断された証言からも自らの判断で嘘を切り捨て、真実のみを抽出していきます。しかし読んでいて管理者が感じたのは、どの情報をプロパガンダと見なすか、そして何を真実と見なすかの基準と根拠がいまいちはっきりしないということでした。ひとつの根拠として、下山事件の時効直前に出てきた情報はプロパガンダである可能性が高いというのですが(p147、221、361、362、369、370、397、439、528)、管理人にはそれほど説得力のある根拠とは思えませんし、複雑な推理をするならもっと更に強い証拠を提示して土台をしっかり固めなければならないのではないかと思います。

 また、このメソッドは前提と根拠が極めて弱い割には非常に使い勝手が良いという特徴があります。例えばAとBという2つの情報があったとします。一般的にはもしAが信用するに足らない嘘の情報だと判断されると、Bの情報からしか推理を組み立てられません。しかしAにもBにも真実と嘘が紛れ込んでいると仮定すると、両方から情報を取り出せます。情報がA、B、C、D、E・・・と沢山あれば選択肢は更に増えます。なにかストーリーを作り上げたい場合に、この方法を用いるとものすごく選択の幅が広がります。しかも都合のいいもの(柴田氏の言う「真実」)を取り出せるだけでなく、都合の悪いもの(柴田氏の言う「嘘」)は否定できるのです。

 もちろん、プロパガンダに真実と嘘の両方が含まれるというのは十分ありえることですし、軽々しくすべてが嘘だとして切り捨てず、情報を精査することは大事だと思います。ただ、こういう便利な方法ゆえに、真実と嘘の区別をする際の基準はかなり厳しくする必要があるでしょう。また、プロパガンダですらない、すべてまるっきり嘘の情報も存在しうる(おそらくそれが最も多い)ことを忘れてはならないと思います。
  1. 2007/12/20(木) |
  2. 平成三部作
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