下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

引っ越してきました

 下のブログから引っ越してきました。しばらくはここと下のふたつのブログを更新していきますが、多分下のブログは近いうちに無くなります。

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  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(5) 慶大中館久平教授、元名大小宮喬介教授からの批判と古畑氏の反論

 轢断面に生活反応が認められないなど、東大法医学教室の死後轢断という判断に猜疑をさしはさむ余地はないように思われましたが、有力な法医学者から批判が出ました。下山事件と言えば思い出される、いわゆる法医学論争の始まりです。ここでは、新聞記事、昭和24年7月30日の法医学会緊急理事会、同年8月30日の衆議院法務委員会、および小宮氏、古畑氏、桑島氏の東大での会談内容などを元にして中館氏と小宮氏からの批判の要点をまとめます。

慶大中館氏からの批判
・秋谷氏のpH時間測定法はまだ確立された方法ではないので、参考程度にしかならない。
・飛び込み自殺では出血が少ない場合がある。
・三鷹事件の犠牲者(生体轢断)の多くで睾丸、陰茎、陰嚢の表皮剥離を伴わない皮下出血が見られた。性器の皮下出血は生体轢断の証拠と言えるのではないか。また、性器以外にも眼瞼、手背部には下山総裁と同様の表皮剥離を伴わない皮下出血が見られた。これもやはり生体轢断の特徴なのではないか。
・局部に鈍力が加わってショック死するという例は聞いたことがない。

元名大小宮氏からの批判
・中館氏と同じ理由でpH時間測定法を批判。
・轢死(生体轢断)の場合、まず列車に当たった衝撃で瞬間的に心臓が止まる。その後に体が轢断されても、心臓がポンプとしての機能を停止しているのだから、出血等の生活反応が見られなくても不思議ではない。
・局部等の生活反応が轢断される前に人からの暴力によってできたのか、列車に当たってできたのかは警察の捜査を待つべきで、他殺だと結論を急ぐべきではない。
・機関車底面についていたという血はゼリー状だったというが、凝固能力の高さを考慮すると生体から出た血液だった可能性が高いのではないか。
・局部の出血については、必ずしも鈍力によるものではない可能性がある。
・轢断面の出血は雨に流された可能性もあるし、非常に早いスピードで切断されると出血が少ないこともある。
・四肢の先端部の皮下出血は左右対称すぎ、直接その部位に鈍体作用を受けて出来たものというより、血管運動中枢が強い衝撃を受けて、その結果末梢の血管から出血したのではないか。

東大古畑氏からの反論
・まだ自殺とも他殺ともはっきりと言ったことはない。死因はまだ不明(8月30日の発言)。
・雨に打たれても轢断面の出血は残る。
・三鷹事件の死体はレール上で轢かれたものではないので、轢死体とは認められない。したがって、三鷹事件の死体所見を下山事件のそれとは比較できない。
・中館氏は轢断面の生活反応について何も考えていない。
・pH時間測定法は人間に適用しても20分以内の誤差という正確な結果が得られたので問題ない。


 参考までに記しますが、昭和24年7月30日の法医学会緊急理事会で古畑氏は「学問は国家のために奉仕しなければならない」と発言したそうです(『下山事件全研究』p213)。また、『法医学』という書籍の序文で「法医学は公安医学である」とも述べています(『下山事件全研究』p292)。古畑氏の法医学という学問に対する考え方がよくわかります。
 なお、他殺説の文献では中館氏と小宮氏が「遺体の轢断面に生活反応がなかったことについて、明確に説明していない」(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p183)などと書かれたりしていますが、両氏ともそれについて言及していることが分かります。また、今後の記事で扱う予定ですが、その後の法医学の進歩による知見は、中館・小宮両氏の考えと大筋では矛盾していないように思われます。


追記
7月30日の法医学会緊急理事会の出席者は、古畑種基東大教授、桑島直樹東大講師、秋谷七郎東大教授、塚元久雄東大助教授、中館久平慶大教授、遠藤中節京大教授、村上次男東北大教授、大村得三阪大教授、加賀屋勇之助千葉医大教授、石川光昭慈恵医大教授、浅田一東京医大教授、羽田日本医大教授、野田昭和医大教授、村上忠横浜医大教授、井関尚栄前橋医大教授、吉成京子東京女子大助教授、八十島信之助東京都監察医務院所属監察医、水野東京都監察医務院長などの医学関係者(一部フルネーム分かりませんでした)、ならびに茂見最高検事、布施、金沢、佐久間、桜岡各検事、坂本刑事部長、塚本鑑識課長、光藤鑑識係長、金原捜査一課係長、関口捜査一課主任国警科学捜査研究所本田法医学課長らの合計約60名でした(昭和24年7月29日付毎日新聞、昭和24年7月30日付読売新聞、昭和24年7月31日付朝日新聞、『下山事件全研究』p204)。

  1. 2007/12/09(日) |
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髪の毛一本さえ残されていなかった?

 事実確認が杜撰なところは細かくてもどんどん指摘していきます。今回は、諸永裕司著 『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)です。

 下山総裁らしき人物が休憩した末広旅館に関する記述で諸永氏は「末広旅館には…(中略)…髪の毛一本さえ残されていなかった」(p176)と書いていますが、実際は布団から形状が総裁のものと酷似した毛髪が二本見つかっています(佐藤一著 『下山事件全研究』p135、423、431、平正一著 『生体れき断』p92、関口由三著 『真実を追う』p110)。当時は形状比較のみの鑑定で、決定的証拠にはならなかったのですが、「髪の毛一本さえ残されていなかった」という記述は明らかに間違っています。
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(4) 秋谷七郎教授のpH時間測定法による死後経過時間の推定

 東大裁判化学教室教授、秋谷七郎氏が取り組んでいたpH値を死後経過時間の推定に応用するというアイディアは、当時非常に画期的なものでした。死後経過時間の推定は、様々な死後現象の確認、医学的知識、および経験にもとづいて総合的になされます。言いかえると、どのケースにも当てはまるような基準はなく、医師の力量に大きく依存しているということです。pH時間測定法は、同じ手続きをふめば誰もが同じ結果を得られるという、死亡時刻推定のための正確な物差しなのです。管理者のような素人が考えてもこの方法の重要性は容易に理解できます。古畑氏曰く、pH時間測定法の判定誤差は20分以内だそうで、これは現代の法医学の水準から考えても驚くべき精度だと言えるでしょう。では以下にこの方法の簡単な説明と、測定結果を記述してみます。

 死後の筋肉の化学的変化を指標として、死後経過時間の推定に応用したのが秋谷氏のpH時間測定法です。この方法ではまず実験動物(モルモット)の筋肉を実験試料として、任意の時間間隔でpH値を測定します。次に縦軸をpH値、横軸を時間としてプロットし、標準曲線を求めます(pH時間曲線)。大事なのは実験動物を使っており死亡時刻がはっきりとしているといるため、死亡後のpH値の時間的変化が正確に得られるということです。この標準曲線は、死後のpH値の変化を示すいわば「理想的な曲線」であり、これが常に「基準」となります。

 では次にいつ死亡したのか分からない死体の死亡時刻の推定方法の説明に移ります。まず死亡時刻が明らかでない死体の筋肉を使って、標準曲線を求めたときと同じようにpH時間曲線をえがきます。次にその曲線を標準曲線と重ね合わせて最もよくフィットすると思われる位置を決めます。そして死亡時刻不明の死体の筋肉のpH値の測定開始点を標準曲線座標上の時間軸で読み取ります。その時刻が15時間目であったとすると、その死体は測定開始時より15時間前に死亡したと推定されるのです。



pH curve

pH時間曲線(『下山事件全研究』の図を参考に作成)

 秋谷氏は当時最新のpH時間測定法を下山事件で「初めて人間に応用」し、総裁の死亡時刻を推定しています。推定時刻は以下のように何回か変更されました。

「5日の午後9時頃から同11時の間」(昭和24年7月9日、朝日)
「6日の午前0時の前後1時間ずつの間」(昭和24年7月23日、毎日)
「(5日夜)11時-12時」(昭和24年7月31日、朝日)
「『(5日夜)11時から12時』より前」(昭和25年4月28日、朝日)

 いずれにせよ、列車が通過した6日0時20分前後よりも早い時刻に死亡していたであろうことが、当時最新の科学的方法によって推定されたのです。死後轢断という司法解剖の結果とも合致しました。秋谷氏は昭和24年7月14日付けの読売新聞で「下山氏ははっきり他殺だと自信をもっていえます」と述べています。測定結果に自信があったのでしょう、秋谷氏は古畑氏よりもかなり大胆な発言をしています。



pH時間測定法による死亡時刻推定の最終結論は「(5日夜)11時から12時より前」だと思うのですが、矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件』(新風舎)では「五日二十一時三十分ころ」で「轢断される三時間以上も前だった」としています(p97)。柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)でも「五日二十一時三○分を中心に前後二時間以内(すなわち八六九列車に轢かれる三時間近く前)と確認された」と書かれています(p102)。もしかしたら更にもう一度訂正されて新たな結論がどこかで発表されたのかもしれません。ここらへんは管理者も自信がないのでソースを探しています。桑島氏は司法解剖の結果、死亡時刻を5日9時30分前後2時間としています。

※※
「事件関係ブログ」さんに教えていただきました。上記のpH時間測定法による死亡推定時刻は「昭和39年6月26日 衆議院法務委員会議事録」のもののようです。衆議院法務委員会議事録については事件関係ブログさんの下山事件: 「秋谷鑑定」 その6をご覧ください。Web上で読むことができます。どうもありがとうございました。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖

 今回は桑島氏の鑑定内容の紹介です。法医学論争の基礎となる非常に大事なところです。鑑定書の結論部分や桑島氏による解剖結果の説明をもとに、管理者なりにまとめてみました。やや煩雑ですがご容赦ください。詳しく知りたい方は下の参考文献をご覧になってください。


(1)右上肢は肩で、左右下肢は足関節付近で、離断している。離断面に生活反応はない。
(2)顔面部全体はお面を脱いだように頭部から取れている。顔面、頭部の傷には出血はない。頭蓋骨は粉砕されている。
(3)両目は開き、僅かに混濁している。
(4)左右眼瞼結膜には半米粒大以下の溢血点がある(生活反応)。
(5)右胸胸部で乳頭下方に皮下溢血点がある(生活反応)。
(6)左右手背部から指先は紫色に皮下出血をしている(生活反応)。
(7)右肩の離断面から孔のあいた心臓が飛び出している。
(8)腹部から臓器が飛び出している。
(9)筋や肝臓には血液が少ないが、肺臓には血液が多い。
(10)臓器の多くは挫滅されている。胃腸内は空虚。胃粘膜と腎盂粘膜に小さな出血あり(生活反応)。
(11)大動脈、心臓、肺、腎臓、膵臓、肝臓には病的変化はない。
(12)陰茎、右睾丸には、それぞれ表皮剥離を伴わない皮下出血をがある(生活反応)。
(13)足関節周辺および足背部に少数の皮下出血がある(生活反応)。
(14)皮下出血を除いては、全身のどこの皮膚にも生前に出来たと思われる傷はない。顔面、右上肢、左右下肢の離断面の皮膚もつなぎ合わせるとぴったりと合い、欠損部はない。
(15)皮膚は蒼白で、死斑はほとんど認められない。全身に出血を伴わない鈍創傷がある。
(16)第一頸椎と、第二頸椎前半は粉砕されている。脊椎骨、肋骨、骨盤骨が折れてねじれている。
(17)脳は350グラムしか残っていない。
(18)薬物は検出されなかった。
(19)死体硬直は解剖開始時に中程度で、終了時には完成していた。
(20)死亡時刻は5日の午後9時30分から前後2時間以内(死体硬直からの推定)。
(21)他殺されたものと推定する。

 おそらく最も大切なのは、(1)の「離断面に生活反応はない」ということでしょう。生きている人間が轢断されたのなら生活反応が見られるはずだと東大法医は考えたので、死後に轢かれたという結論になりました。後に桑島講師は(12)の性器の皮下出血を理由に「局部蹴り上げによるショック死」を死因として主張するようになります。また、(6)左右の手首より先が紫色に皮下出血をしていることから、生前下山氏が監禁状態に置かれ、縛られていたからではないかと推測しています。

 解剖は通常2時間もあれば十分終わるものらしいのですが、下山氏の場合は極めて慎重かつ徹底的に行われました(午前1時40分から午前5時12分までの約3時間30分)。桑島氏は「これ以上綿密な検査は出来ないというところまでやった」そうです(『資料・下山事件』p229)。


錫谷徹著 『死の法医学』には右陰嚢にも出血あり、とありますが桑島氏の証言を見るとおそらくそれは間違いです。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)
錫谷徹著 『死の法医学』(北海道大学図書刊行会)
関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)
佐久間哲夫著 『恐るべき証人』(悠飛社)
  1. 2007/12/09(日) |
  2. 法医学論争
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不審死? 謎の死?

 下山総裁を轢断した列車の機関士Y氏に関する記述で気になる点を見つけたので、柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)より引用します。

ちなみにY機関士は事件から七ヵ月後の昭和二十五年二月十九日、四十六歳の若さで不審死を遂げている。(p96)

そして事件から七ヵ月後、Y機関士は謎の死を遂げた。(p355)

轢断列車の機関士だったYKは、事件から七ヵ月後に変死した。(p462)


 不審死、謎の死、変死とありますが、いったい具体的にはどんな亡くなり方をしたのでしょうか。佐藤一著 『下山事件全研究』、平正一著 『生体れき断』、宮城音弥・宮城二三子著 『下山総裁怪死事件』などを見てみると、胃潰瘍の手術後、腸閉塞を併発して亡くなったそうです(『下山事件全研究』p452、『生体れき断』p74、『下山総裁怪死事件』p181)。Y機関士は若い頃下山氏にお世話になったことがあるそうで、総裁を轢断してしまったことを非常に気に病み、深く悩んでいたようです。大量の人員整理後で休暇もまったく取れず働きづめなうえ、死の前日まで検察事務官が家に来るなど執拗な取調べもありました(乗務が終わって水戸に帰るも、しばしば呼び出しですぐに東京の警視庁に出向かねばならず、暇がないため病院に行くのも遅れました)。Y機関士の体が病魔に冒されたのはおそらくこれらが主な原因でしょう。入院していた病院の院長は「病気もさることながら、下山総裁を自分の車でひいたことを非常に苦にしているので、胃の方が一向に良くならない」と述べ、彼の懊悩の深さを伝えています(『生体れき断』p75)。『下山事件全研究』にはご遺族の辛い思いも記されています。佐藤一氏の取材に答えるY機関士の奥さんと娘さんの言葉を以下に引用します(p452)

「それは大変な悩みようでした。あの元気な人が病気になってしまったのですから……(中略)秋になると、おなかが痛むといいだしたんですね。医者にみせると胃潰瘍で、すぐに手術をしなければだめだといわれました。一〇月に手術して病院は八〇日ぐらいいたでしょう。まだだめというのにどうしても帰りたいといって暮に退院し、正月を家でやったんです。輸血なんかももう少しやればよかったんでしょうが……。それにやっぱりあのことが気になり、苦にしていたんでしょう。二月十九日に死にましたが、その五日前まで東京の検察庁の人がきていました。主人は、何度きてもおんなじだ、といって断っていましたが、これが最後だ、もうこないといって調書をとって、署名しろといってきました。本当にあれが最後になってしまいましたね」

「あの事件は、もう時効にもなったんでしょう。それだのになんだって今ごろまた、下山事件だなんて、いってくるんです。父は、あの事件で殺されたようなもんなんです。私たちだって、とても迷惑を受けました。悲しいおもいをしました。新聞だ、雑誌だ、放送局だと。つぎからつぎへ押しかけて……私には話すことはありません。いくら話したって、怪しい、怪しいといわれっぱなしで、本当に迷惑です。帰ってください。なにも話したくありません」


 何をもって「不審」「謎」とするのかは人それぞれでしょうし、陰謀に加担した罪の意識に苛まれて身体が弱ったのだ、と勘ぐることも可能と言えば可能かもしれません。事実他殺説によるとそういった見方がありますし、Y機関士の死後、世間では「自殺した」という根拠の無い噂が広まりました(『生体れき断』p74-75)。しかし、私は胃潰瘍と腸閉塞で亡くなった方に対して、「不審死」「謎の死」「変死」という言葉が使われていることに違和感を覚ざるをえません。『下山事件 最後の証言』では最終的にY氏は変死ですらなく、殺されたことになってしまっています(p466)。

  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(2) 八十島信之助監察医の証言

 当時東京都監察医務院の八十島信之助氏は下山総裁の死体を医師として初めて見た人物です。八十島氏は、それまでの三年間に約百体もの轢死体を見ていました。それら線路上での死体は全て事故もしくは自殺によるもので、下山総裁の死体を調べたときも、「それまでに見てきた死体と違うところはないか」という点に注意したそうです。下山総裁の死体は皮下組織内の出血(生活反応)は少ないが、自身の経験及び文献から轢死体の生活反応は著しくないということを知っており、総裁の死体を自殺死体と認めても問題ないと判断しました。また、死斑が見られなかったことから現場で死んだと八十島氏は考えました(もし現場で轢断される前にどこかで殺されるなどして死亡し、それから現場まで運ばれ列車に轢断されたなら、時間的に既に死斑が生じているはずだと考えられたため。轢断から約6時間後(推定)に八十島氏による検死は行われました)。

 要するに下山総裁の死体は、八十島氏がそれまでに見てきた事故もしくは自殺による轢死体と特に異なる点は無かったということです。このような場合、監察医による現場での検案だけで終わるのですが、当時の緊迫した社会情勢と下山総裁の立場を考慮し、より詳しく死体状況を調べるため司法解剖の手続きが取られました。


死斑…死亡・心拍停止後、血液は循環を停止し、重力によって死体の低いところに就下する(血液就下)。死斑とは、就下した血液によって皮膚表面に見られる紫赤色斑のことを指す。死後1〜2時間で現れ始め、5〜6時間で著明となり、12〜15時間で最高になる。
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平成三部作と法医学

 今回は平成三部作のなかの法医学の取り扱いについて思うことを。まずは平成三部作の著者たちの取材姿勢を象徴的に示す文章をご紹介します。以下は森達也氏が右翼の人物を取材して話を聞いた後、所感を述べている部分です(『シモヤマ・ケース(文庫版)』(新潮社)p165)。

……文脈としては魅力だった。でも文学的過ぎるという自覚もあった。妄想とは言い切れないはずだが、でも謀略史観に陥る愚は犯したくない。とにかく結論はまだ不要だ。今の僕がすべきことは、徹底した事実の拾い起こしと集積だ。ピースを集めないことにはジグソーパズルは始められない。


 安易に「謀略史観に陥る」べきではなく、「徹底した事実の拾い起こしと集積」をすべきというのには全く同意です。しかし言うことはまっとうな割に行動が伴っていないように思えるのは管理者だけでしょうか。自殺か他殺かという最も基本的なところを調べる前に、なぜ右翼の人物と会って話を聞いたりしているのでしょう。管理者には森氏が自ら「謀略史観に陥」って推理ごっこ(ジグソーパズル)をしたがっているようにしか見えません。

 本当に真相が知りたいのなら、まず第一に基本的事実を徹底的に洗いなおすのが筋でしょう。例えば、現代の法医学者が当時の法医学鑑定をどう考えているのかという問題は、非常に興味深いことなはずです。しかし、平成三部作の著者らはなんと「誰一人として法医学者のところに行って意見を聞いていない」のです。彼らも彼らなりに著書の中で法医学的考察をしているのですが、そのレベルは驚くべきことに「昭和24年当時」のものです。法医学者の意見を仰ぐことなく、当時の法医学の知識に則って考察し結論を出しています。新しい法医学的知見は真相解明に必要ないというのでしょうか。
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(1) 生活反応とは

 今回から法医学論争関係の内容になります。論争の内容の説明、自殺説と他殺説のそれぞれの妥当性の検討などをおこなう前に、しばらくは基本的な概念や事実関係の確認をすることになると思います。のんびりいきます。

 論争の内容を理解するために非常に重要なキーワードとして「生活反応」があります。簡単に言うと生活反応とは「生きている人や動物に何らかの刺激が加えられた際に生ずる生理学的反応」ということになります。生活反応は生体に特有で、死体には生じません。例えば、生きている人の皮膚を掻くと赤くなりますが、死体の皮膚を掻いてもそうなりません。この生活反応を詳しく調べることによって死因等の法医学的に重要な情報が得られます。今回はとりあえず生活反応という用語を理解しましょう。

 少し専門的になりますが、以下に法医学書から生活反応の定義を引用します。ちなみに当ブログで管理者は自分自身について殆ど何も語るつもりはありませんが、最初にひとつだけ断っておきますと管理者は医療関係者ではありません。そのために今後記述に不正確な点が出てくるかもしれませんが、ご容赦ください。素人の書くものなのでご覧になる方の中には内容に疑問を持つ方もいらっしゃることと思います。そういうときはやはり下山事件や法医学関係の資料を直接調べるのがいいと思います。


石津日出雄・高津光洋編 『標準法医学・医事法 第6版』(医学書院) p143

【生活反応】 
 生活反応とは生体に外因や刺激が作用したとき、生体にしか発生しない全身的、局所的反応をいい、生の確徴でもある。反対語は死体現象であり、死の確徴となる。この生活反応は、死因の判定のほか、受傷後の生存時間、受傷機転、受傷順序、行動能力などの推定の根拠ともなる。
 生活反応は全身性と局所性に大別される。それぞれにおいて、血液循環と呼吸の2大生命現象で引き起こされる病態生理学的反応が主体である。
 全身性生活反応では、多量の出血と全身諸器官の貧血、塞栓症、顔面のうっ血、水血症、外来物質の全身分布、代謝、排泄、異物の気道内吸引などが挙げられる。
 局所的生活反応では、出血、血液凝固現象、炎症性変化、創傷治癒機転の進行状況、血栓形成などが代表的である。

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平成三部作のこと

 下山事件の論争点と言うと、法医学鑑定、油、血痕、染料などがまず思い浮かぶ方が多いと思います。当ブログ管理人も法医学論争から入ろうかと思っていたのですが、まずは平成三部作(『下山事件 最後の証言』、『葬られた夏 追跡下山事件』、『シモヤマ・ケース』)の問題点を挙げることから始めることにします。ブログ全体の構成からいくと、あまり良くないとも思ったのですが、法医学鑑定等の論争点を詳しく紹介していると、それだけでかなりの時間をくってしまい、なかなか平成三部作の話にまでたどり着けないのではないかと思ったので、最初にもってくることにしました。

 平成三部作は確かに面白く興味深い考察がなされています。まるで小説のようにスリリングで読者を飽きさせません。下山事件に興味のある方、推理小説好きな方は必読でしょう。面白さは保障します。また、平成三部作は下山事件が半世紀以上経った今もなぜ忘れ去られることがないのか、その理由のひとつを我々に教えてくれているのです。とりあえず最も気になる問題点を指摘することから始めましょう。

 平成三部作の売りのひとつは、末広旅館の女将NFの夫NSが元警察関係者だったという「新情報」を得たことだと管理者は思っていました。もともとは『葬られた夏 追跡下山事件』の著者、諸永裕司氏が元捜査一課の刑事、金井岩雄氏から聞きだした情報です。その部分を引用します(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)p178 )。

 また、亡くなってから十七年になる夫のSについて、捜査一課の数少ない生き残りの刑事である金井は雑談の中で意外なことを漏らしていた。
「最初に通報してきたのは末広旅館の旦那だったけど、このNSっていう男は偶然にも私の先輩でね。警察に入って間もないころ、麻布鳥居坂署で一緒だったんだ。そのとき、(関口由三・捜査一課)主任も顔見知りだった。元特高の警察官なんだよ」
 新情報だった。第一通報者で疑惑の証言をした末広旅館の女将の夫が捜査一課員と旧知の間柄だったことになる。
 やはり、自殺説は仕組まれていたのだろうか。


 次に柴田哲孝氏の著作から引用してみましょう(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)p173)。

 いったいこれはどういうことだ? 末広旅館の夫婦は亜細亜産業と関係があっただけでなく、自殺論を展開する捜査一課の現場責任者とも旧知の仲だったということになる。
 NSと「顔見知りだった」とされる関口由三は、警視庁を退職後の昭和四十五年、『真実を問う 下山事件捜査官の記録』を サンケイ新聞社から発表している。この本は、もちろん捜査一課の見解を主張する“自殺論”だ。その中で関口は末広旅館について触れ、 NSについて「経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった」と評しているが、「知り合いだった」とは一言も書いていない。ちなみに、 NFの調書を作成したのも、関口由三である―――。


 では最後に末広旅館の女将の夫と旧知の仲だったという捜査一課関口由三主任の著書を見てみましょう(『真実を追う 下山事件捜査官の記録』(産経新聞社)p109-110)。

 同日、主人のNSさんの調書も作成している。その内容の要点は、
 大正十年警視庁巡査を拝命、鳥居坂警察署勤務、交通、特高係りをやる。父NS(※イニシャルにすると同じになります、管理者注)は警視庁剣道師範で芝三田で道場を開いて いたので、その助教をしていた。父が死亡し恩給もついていたので、昭和八年五月三日辞めて向島吾嬬町の合資会社前田鉄工所支配人 となり、昭和二十年三月辞め、現在は株式会社日本リヤカー工場の監査役をして、妻名義で旅館を経営している。下山総裁に似た人が 休まれたことを初め三男のS君が気づき、家内もほんとに間違いないということで、届け出たものである。人に依頼されたり虚偽のことを 申し上げたのではなく、私も妻もそんな人間ではない。
 と証言している。経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった。


 確かに諸永氏も柴田氏も嘘や間違ったことは書いていません。関口氏は「知り合いだった」とは一言も書いていないわけですから。その意味で新情報は新情報なんでしょう。しかし昭和45年に関口氏が自らの著書の中でNS氏が元警察関係者だと明らかにしている事実を鑑みると、「知り合いだった」という情報にどれほどの意味があるのか疑問になってきます(柴田氏は、著書の中盤以降では知り合いだったことよりもむしろ特高上がりだったという事実のほうを強調しています〔「NFの夫は特高上がりだった」p348〕)。しかも、このことを書いたのは関口氏が初めてではありませんでした。既に昭和39年に平正一氏が著書『生体れき断』(毎日学生出版社)の中でNS氏が警視庁に入り、まもなく特高係となったことを書いているのです(p94)。つまりNS氏が元警察関係者だったということは随分昔から周知の事実だったわけです。そもそもNS氏と関口氏が知り合いだったという情報は、金井氏が雑談中に諸永氏に話したのであって、警察側としては隠す必要はなかったのでしょう。末広旅館と警察のつながりに陰謀論的な意味を見出すのは間違いと見るのが妥当といえるのではないでしょうか。

 興味深いのは森達也氏は柴田・諸永両氏とはまったく別の方法で同じ情報に辿り着いているということです。彼は末広旅館跡地の隣で不動産業を営むNS氏の後妻の女性に直接インタビューして、NS氏が刑事たちと知り合いだったこと、元憲兵隊だったことを聞き出しています(『シモヤマ・ケース(文庫版)』p311-312)。後妻の女性はやけに記憶力が良く、NS氏の知り合いの刑事たちは捜査二課ではなく、みな捜査一課に所属していたと述べています。森氏自身がこの話を聞いて相当驚いている様子が書かれていますので、そのときまでに関口氏、平氏の文献は読んでいなかったのでしょう(『生体れき断』という文献が出版されていること自体は知っており、しかもそれを読んでいると思われるような書き方をしてはいますが。文庫版p57、70)。なお、諸永氏も『生体れき断』は読んでいるようですし(『葬られた夏(文庫版)』p150、157)、柴田氏も同様です(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p182)。

 長くなってしまったので、最後に諸永氏の言葉を引用して今回は終わります(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』p232)。

何が起きたのかをきちんと聞き出し、記録することが仕事じゃないか。



「末広旅館の主人NS氏」「諸永裕司氏のこと」「『下山事件の謎を解く』 堂場肇(著) 六興出版社」「三大新聞社と下山事件報道」の「下山事件をめぐって」という週刊朝日の記事、および事件関係ブログさんの「下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2」もご参照ください。
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はじめに

 ようこそいらっしゃいました。ここは昭和24年に起きた、いわゆる「下山事件」に関するブログです。ここに訪れた皆さんはもうご存知の方が多いと思いますが、下山事件には自殺説と他殺説とがあり、事件発生から半世紀以上が経った今でも決着はついていません。それが「戦後史最大の謎」と呼ばれたり、三鷹事件、松川事件とともに「国鉄の戦後三大ミステリー」と呼ばれるゆえんでもあります。

 まず初めに当ブログ管理人の立場を述べますと、他殺説に妥当性はないと考えています。ただ、「絶対に自殺だ!」という考えとは少し違います。「他殺だったかもしれないが、他殺説を展開するに足る説得力のある材料はほとんどない」という立場です。

 管理人が初めて読んだ下山事件関係の書籍は松本清張著 『日本の黒い霧』でした。これでとっかかりを作り、矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件』へと進みましたが、その頃には自殺より他殺の可能性のほうがやや高いと考えていました。しかし、『謀殺 下山事件』の解説で和多田進氏はこう書いていました。「『下山事件全研究』は私たち「他殺論」者にとって必ずしも反論が容易な一冊とは言い難い」、と。「反論し難い? 死体に血が少なかったことや、線路の血痕はどう考えても自殺じゃ説明できないんじゃないのか?」 こんな思いで『下山事件全研究』を古書店で手に入れ、読み始めたのです。そして今は上に書いた結論に至っています。

 『下山事件全研究』を始めとした自殺説の本を探しながら感じたのは、「自殺説の情報は他殺説のそれに比べて非常に手に入れにくい」ということでした。自殺説の代表的な書籍というと、今述べた佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)をはじめ、平正一著 『生体れき断』(毎日学生出版社)、関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)などがあります。これらは全て絶版です。資料的価値の高い下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)もやはり絶版になっています。読むには図書館か古書店を回らなければなりませんし、必ずしも簡単に見つけられるわけでもありません。しかも古書店は今では入手しにくいこれらの書籍に高い値をつけることがしばしばです。下山事件を客観的に見るためには、自殺説と他殺説の両方を知ることが大切だと管理者は思っていますが、このような理由で自殺説にはなかなかアクセスできなくなっています。どちらかの説を支持したり、否定するという行為は、本来その両方をよく知っていなければできない行為なはずですが、下山事件に関してはどうも事情は異なるように思われます。ならば自殺説の簡単な紹介を自分でWeb上に作ってしまえばいいではないか、ということで生まれたのがこのブログです。

 もちろん自殺説をよく知るには、上に挙げた書籍に直接あたってみるのが言うまでもなくベストです。ここでご覧になれるのは、自殺説の「受け売り」もしくは「劣化コピー」に過ぎません。しかも管理人の力量を考慮すると、情報として相当劣化しているはずです。しかし、劣化コピーは劣化コピーなりに、自殺説の書籍が手に入りにくい状況では、いくばくかの存在価値もあるのではないかと考えます。

 なお、事件の詳細および当時の社会情勢などのイントロダクション的なものは、他のサイトや書籍で詳しく知ることができますので、ここでは割愛します。事件の関係者の氏名は、下山定則総裁をはじめとする国鉄幹部、GHQ・政府関係者、警察関係者、法医学者、新聞記者、下山事件関連書籍の著者、下山事件研究会のメンバー、他殺関係情報提供者、当時の著名人等を除いて基本的にイニシャルで表記します(目撃者や確固たる証拠もなく犯人扱いされている人はイニシャル表記するということです)。原著で氏名が書かれていてもこのブログで引用するときにはイニシャル表記をします。

 管理人への連絡は、deldelstone★yahoo.co.jp(★を@に変えてください)までお願いいたします。お返事は遅くなったり、もしくはできない可能性もございます。ご了承くださいませ。
  1. 2007/12/09(日) |
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