下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

血痕群の分布状況

 他殺を強く示唆する「証拠」として考えられているのが、轢断列車の進行方向とは逆の方向に轢断現場から200メートル以上に渡って枕木やロープ小屋で発見された血痕です。矢田喜美雄氏の著書と下山事件研究会での証言によると(『謀殺 下山事件』、『資料・下山事件』)、占領軍憲兵司令部所属の犯罪捜査研究室(Criminal Investigation Laboratory, CIL)のフォスター軍曹から轢断現場上手に血痕があるという情報が東大の桑島氏に7月15日に伝えられ、その情報をもとに昭和24年7月25日夜から26日朝にかけて東大、検察、警視庁、そして矢田氏をはじめとする朝日新聞関係者によって本格的な検証がおこなわれたとのことです(矢田氏らはそれ以前にも簡単な調査をしています)。具体的な血痕の分布を以下に述べますが、資料によって内容が食い違う点があるので、それぞれ紹介します。

 まず、矢田氏の『謀殺 下山事件』を元にすると、上り線では轢断現場から3.2〜29.75メートルまでの間に24ヵ所の血痕が見つかり(第一群)、53.8〜121.6メートルの間には米粒大の血痕が13ヵ所、荒川鉄橋渡り板でも8ヵ所見つかりました。下り線では轢断現場から31.6メートルあたりに6ヵ所(第二群)、47.2メートル当たりに8ヵ所(第三群)、72.2〜176メートルの間に米粒大の血痕が15ヵ所、192.6〜199.3メートルに8ヵ所(第四群)見つかりました。ロープ小屋の柱や扉からは17ヵ所に血痕があったということです。

 上記の枕木と荒川鉄橋の血痕の数を足すと82になりますが、矢田氏は「マークされた採取点は八十三ヵ所」だったと書いています(p170)。いずれにせよロープ小屋を除いて80以上の血痕が見つかりましたが、うまく採取できたのは52ヵ所で、そのうち血液型判定に必要な量があり、かつベンチジンによる反応を見せるものは枕木で27、ロープ小屋で12の合計39ヵ所でした。これら39の血痕のうち、人血と判定されたのが下り線から11、上り線から10、ロープ小屋から8の計29ヵ所。それらのうち血液型が判明したのは下り線ではA型が5、AM型が1、AMQ型が1で、上り線ではA型が2、AQ型が1、AMQ型が2、ロープ小屋ではA型が1、AM型が1、AMQ型が1でした。文章にすると分かりにくいので下に表にしてみました。「人血」というのは、人の血だということは判明したものの血液型は調べられなかったものです。
謀殺 下山事件



 次に『資料・下山事件』の矢田氏の証言を見てみましょう(p505)。矢田氏は「これら血痕中A型だけ認められたもの十四ヵ所、A型のM型とわかったものが三ヵ所、A型のQ型だけわかったもの二ヵ所、A型のMQ型というのが二ヵ所ということが判明しました。下山さんの血と同じとみられるAMQ型はシグナル付近の上り線から二ヵ所、AMはロープ小屋の扉からそれぞれ出ています。」と述べています。この証言では上り線と下り線の区別をしていないので、まとめて「枕木」として下の表にまとめました。また、血液型が調べられなかった人血については言及されていませんので表には「人血」の欄はありません。上の表と比べてもらえれば分かるように、同じ矢田氏の述べていることにもかかわらず、かなり食い違いがあることが分かります。
資料・下山事件



 時間は前後してしまいますが、中央公論の昭和26年1月号に掲載された矢田氏による「下山総裁の血の謎」という記事を見てみましょう。随分古い記事ですが、このときまでには血痕の検査は全て終了していました。この記事によると、次の表のようになります。この記事には血痕の全データは28だったと書いてありますが、合計すると27になり、ここらへんも計算が合いません。しかし、細かいミスには目を瞑ったとしてもやはり上のふたつの表と結果が異なっています。なぜここまで結果が違うのでしょう。
古い記事



 最後に古畑氏の『今だから話そう』の図を見てみると(p233)、枕木上の血痕で人血と判定されたものが7、A型が4、AM型が2、AMQ型が2の計15ヵ所、ロープ小屋ではAMQ型が1ヵ所で合計16ヵ所となっています。下の図は、『今だから話そう』の図を参考に改変したものです。血痕の分布と血液型も表としてまとめましたが、やはり上の3つの表とかなり違うことがわかると思います。重要なはずのAMQ型の血痕の数も、矢田氏の著作や証言内容と食い違っていることには疑問を感じます。
血痕分布図

古畑表



 以上のようにきっちりと事実を確認するのも難しいのですが(管理者も今回調べてみるまでそのことに気づきませんでした)、線路とロープ小屋に多数の血痕群があったのは確かで、これは下山氏の死体運搬時に滴り落ちたものではないかと他殺説の論者は強く主張しました。
  1. 2007/12/27(木) |
  2. 血痕
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法医学論争(12) 死後轢断鑑定の妥当性の検討−その3 現代の法医学から見た下山事件

 今回は前回の錫谷氏(1983年)よりも更に新しい法医学者の意見を紹介します。

 1986年1月6日付けの産経新聞は、米国公文書館から入手した轢断死体の写真をもとに法医学者たちの意見を仰いでいます。錫谷氏は写真は『死の法医学』での考察が裏付けられるもので、「明らかに自殺体」とし、木村康氏および匿名の国立大教授もほぼ同様のコメントをしています。そのほかに赤石英氏、八十島信之助氏、渡辺博司氏も生体轢断と考えて矛盾はないと述べています。特に八十島氏は、下山氏の死体の背骨が粉砕されていることから「下山さんは列車にひかれたとき、立っていたということだ」という、管理者の知る限り過去の資料では一度も述べていない意見を表明していて、興味深いものがあります。『資料・下山事件』(p198-200)の八十島氏の証言(昭和24年の日本法医学会臨時評議員会)を見ると、法医学論争には極力関わりあいたくなかったのではないかという印象を管理者は受けます。当時の論争の過熱ぶりと学会における古畑氏の絶大な権力を思えば当然かもしれません(1986年1月13日付けの産経新聞でも八十島氏は、古畑氏自身が著書『法医学』で轢死体は出血等の生活反応がみられないこともあると述べているにもかかわらず、下山事件では生活反応の有無を絶対基準としていたことに疑問をもっていたが、当時は言えなかったと述べています)。産経新聞はその他の多くの法医学者にも意見を聞いたらしく、写真だけではなんともいえないが仮に生活反応がなくとも生体轢断と判断するのが自然だという意見が大勢を占めたということです。ただ一人、越永重四郎氏だけが生体轢断なら必ず生活反応があるはずで、古畑鑑定を信ずると述べています。

 では次から他のソースを見ていきましょう。

 寺沢浩一著 『日常生活の法医学』(岩波書店、2000年)は下山事件の法医学論争に言及しています。寺沢氏は錫谷氏の次々代の北大法医学教室の教授ですが、錫谷説を評し「今日の鑑定水準からみて十分に妥当」「厳密な推論によって可能な限り真実に迫ったもの」と述べています(p80-83)。

 支倉逸人著 『検死秘録・法医学者の司法解剖ファイルから』(光文社、2002年)は非常に簡単にですが次のように述べています。「一般論としては「出血が伴わなければ死後の損傷」と判定するのが原則である。一方、特殊な状況として「血圧ゼロ状態での 生前の損傷は出血を伴わない」ということが認められるようになった。 下山総裁が轢断されたときに、そのような特殊な状況だったかは確実な根拠がないが、結局、自殺の可能性が高いということで落ち着いている。」(p20-23)。

 石津日出雄・高津光洋編 『標準法医学・医事法 第6版』(医学書院、2006年)の鉄道事故損傷の部分(p172)では「頭部・体幹・四肢が轢断されていても事故現場の出血量は少なく、身体各所の損傷は生活反応に乏しく、轢断部の組織に出血が見られないことも多い。これは損傷が著しく高度で、轢断時に瞬時に死亡して血圧が低下するためと考えられる。ただし、生前の轢断では、轢断された筋肉の近位側の骨との附着部には出血が認められることが多く、生活反応と考えられている。」と書かれています。轢死体の法医学的知識体系が未熟だった昭和24年当時、古畑氏と桑島氏が「轢断された筋肉の近位側の骨との附着部」まで詳しく調べたのかは分かりませんが、現代法医学の認識では、轢死体は出血量が少なく、生活反応に乏しいことは確かなようです。「教科書に記載される」ということは、繰り返し確かめられ、現代法医学の常識となっている現象なのだと思われます。

 生体轢断を支持する意見だけを紹介するのはフェアではないので、2005年出版の上野正彦著 『「藪の中」の死体』(新潮社)を見てみましょう。上野氏の結論は死後轢断(他殺)で、その根拠は大まかにいうと以下の3点です。
(1)轢断部に生活反応がない
(2)線路に沿って下山総裁と同じAMQ型の血液が検出された
(3)上着やワイシャツに損傷や血痕がない
(※線路上の血痕については近々検討します)

 現代でも上野氏のように法医学者によっては轢断面の生活反応をかなり重要視するようです。この辺になると素人の管理者にはどちらが正しいのか判断がつきませんが、多数決を取れば上野氏は少数派になるのではないでしょうか。また、(2)と(3)については今後取り上げますが、問題があります。議論の本質とずれますが、上野正彦氏の父で元東大教授(古畑氏の後継者)の上野正吉氏が、著書『新法医学』のなかで「(轢死のばあい)時に異常な形の創傷を見る。出血等の生活反応も生前轢断でも時によってはこれが乏しいか、殆んど見られず、死後轢断かどうかの判断のつきかねることもある」(『下山事件全研究』p270)と述べているのは興味深いことです。

 さて、とりあえず現代の法医学まで辿り着きましたので、法医学論争の紹介は今回で終わりです。生体轢断か死後轢断かは、皆さんのご判断に委ねます。かなり端折って紹介した部分もありますから、これで興味を持たれた方は是非一次資料にあたってみてください。

 次回からは線路とロープ小屋の血痕の検討に移ります(多分)。法医学関係のネタは論争の紹介で取りこぼしてしまった点、本質とはあまり関係ないことなどを思いついたときに追加していきます。
  1. 2007/12/26(水) |
  2. 法医学論争
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末広旅館の主人NS氏

 平正一著 『生体れき断』には、末広旅館の主人NS氏が元警察関係だという経歴や下山事件に関わるエピソードが書かれています(p93-95)。

 警察に積極的に情報提供したNS氏ですが、それが災いしたのか、ある新聞社(具体的には書いてありません)の記者がNS氏は共産党員で党の命令で警察に届け出たのではないかと言いだし、根も葉もない噂が飛び交いました。警察にその件について調べられたそうですが、実際は彼は共産党員ではありませんでした。しかしこれだけでは終わらず、次は旅館の宣伝のために警察に届け出たのではないかという風評が広まりました。これもやはり根拠はなく、しかも実際のところは悪意に満ちた憶測や風評のせいで客足は減ってしまったそうです(重要なことですが妻で旅館の女将のNFさんはそうなることを予見して、最初は警察に届け出ることに反対していました)。

 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』では事件後NS氏は急に羽振りが良くなって旅館を買い取ったと書かれていますが(p351)、『生体れき断』によると客足が遠のいた後、「屋敷も大半を人手にわたし、私はこの片隅でやっと生きているという始末です」とNS氏は語っています。管理人にはどちらが本当なのかは分かりません。もっとも『最後の証言』では羽振りが良くなった理由は旅館が繁盛したからではないようなので、また違う話なのでしょう。とはいえ、『生体れき断』を読む限りNS氏が事件後あまり裕福な生活をしていたようには見えません。1986年4月の中央公論での今井太久弥、佐藤一、富山和子、増田滋各氏の座談会(「下山国鉄総裁は自殺だった 38年目の真実」)でも増田氏が「末広旅館の主人も秘密党員だという出所不明のウワサをふりまかれ、営業できず、旅館を手放してしまい憤死した。実際は特高刑事出身だった。」と述べています(p318)。(※ここでも既に特高関係者だったことは平成三部作よりもずっと早い時期に述べられています。「平成三部作のこと」「諸永裕司氏のこと」参照)

 こうして見てみると、NS氏にとって下山事件は災難以外のなにものでもなかったように思えます。生前さんざん風評被害に悩んだNS氏ですが、平成の世になっても様々な憶測が飛び交っているようで管理人としては同情を禁じえません。他殺説が主張するようにNS氏が本当に証言デッチ上げに係わっていたのか、真実は管理人には分かりませんが、少なくとも当時の共産党員云々という風評が「確固たる証拠のない憶測」だったことは確かです。


※追加
NS氏が共産党員だという嘘の届出をした新聞記者がどの新聞社に所属していたのかは、『生体れき断』には書かれていませんでしたが、佐藤一氏の『下山事件全研究』に次のような記述を見つけました(p61)。「聞き込み」というのは警察による五反野周辺住民への聞き込みです。

また、その前日の聞き込みでは、A新聞の記者が、末広旅館のおやじは共産党員で、党の命令で下山さんらしい人が泊まったと届け出たのだ、といっていた、というのもあった。

  1. 2007/12/23(日) |
  2. 末広旅館・五反野周辺
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総裁の死体を運んだ男S

 下山氏の死体を運んだというSの話は下山事件に興味のある方なら誰でもご存知でしょう(矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件(文庫版)』(新風舎)p403-412)。生暖かく柔らかい死体を運んだ話は生々しくリアリティがありますが、矢田氏は「私がどのようにして彼を知り、話をきいたのか、そのいきさつを語ることができないのが残念である」と述べており、Sと矢田氏の関係はほとんど知ることができません。

 しかし、1977年(昭和57年)出版の『語りつぐ昭和史』(朝日新聞社)には、矢田氏自らがある程度詳しく経緯を話しています(p199-205)。『謀殺 下山事件』と内容が重複する部分もありますが紹介します。

 矢田氏はSのことは事件の2年後に布施検事から聞いていたとのことです。事件後北海道にいたSは東京に戻ってきて時効までじっと静かに生活し、そして結婚することになりました。次に意味がちょっと取りにくいのですが、「幸いに、事件を追っていた警視庁の早稲田大学出の刑事さんの協力で、私はSの結婚話を知って、仲人になってもらったのです」とあります(刑事にS夫婦の仲人になってもらったという意味でしょうか?)。Sは戦時中に硫黄島で憲兵を撃ち殺した前歴があり、終戦後も盗み等をやっていたようですが、結婚後は犯罪とは縁を切ったようです。結婚生活が始まった頃、矢田氏は「正体を現し」、経済的に苦しいというS家の家計を支えるため、毎月3万円渡すかわりに「下山事件の情報交換をSに要求し」ました。3万をもらいにSは毎月新聞社に現れ、その際に必ず情報を提供したそうです。このような関係は昭和48年まで7年続いたということですから、満7年だとすると当時で計252万円ものお金を渡したことになるのでしょうか。ちなみに、昭和42年の大卒初任給は26,200円、昭和48年が57,000円くらいだったようです。

 細かい記述は『謀殺 下山事件』とやや食い違う箇所があります。例えば、『謀殺』では「Sの談話は昭和四十五年夏までに十回以上話し合った」とありますが、『語りつぐ昭和史』では、「こうして、Sの情報は何冊かの厚いノートとなりました。昭和四十八年秋のことです」とあります。また、7年間毎月情報を提供していたなら「十回以上」程度では済まないはずです。

 いずれにせよ、総裁の死体を運んだ男Sは情報提供の見返りとしてかなりの金額を得ていたのです。
  1. 2007/12/22(土) |
  2. 他殺説
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法医学論争(11) 死後轢断鑑定の妥当性の検討−その2 北大錫谷徹氏による下山事件再考

 北大医学部法医学教室教授だった錫谷徹氏は著書『死の法医学 下山事件再考』(北海道大学図書刊行会)のなかで、現代の法医学から法医学論争を見直し、桑島氏の解剖所見をもとに独自の主張を展開しました。以下にその概要を紹介します。

 まず錫谷氏は古畑氏の「轢断面に生活反応が認められないから死後轢断である」という主張と、中館氏の「局所周辺の皮下出血は生体轢断の証拠」という主張の両方を否定します。

 古畑説を否定する理由は佐藤一氏のものと同じで、生活反応を欠くケースは轢死体ではしばしば認められることであって、生体、死後轢断かの判断材料にはならないからです。轢断により即死したか、衝突の瞬間に心拍動が停止し心臓がポンプとしての機能を失った後に轢断されれば、出血を欠くのは「当然」だと述べています。轢断面の生活反応が生体、死後轢断の判断の役に立つのは、それがはっきりと認められる場合のみなのです(その場合にのみ、生体轢断だと結論できます)。

 また、身体各部の皮下出血と溢血点は真の生活反応としての出血なのか、死後の血液流出であるのかは資料からは判断できないとしています(したがって「法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖」で解剖所見の横にカッコつきで生体反応と記してあるのは、あくまで桑島氏がそう判定したという意味です)。桑島氏が主張した死因としてのショックも、死後轢断と決めてかかったため列車との衝突による心臓の損傷を死因として除外しなければならず、しかし他には適当な死因を探し出すことが出来なかったために、本来解剖所見だけからは導き出せないはずのショックという概念を持ち出したのだと述べています。

 中館氏の言う局所周辺の皮下出血も死後轢断でも起こる可能性が十分あるため(睾丸出血などは生理現象というより、下腹部が圧迫され血管の内圧が上昇し、末梢の毛細血管が破裂することよって生じる物理現象の可能性が高い)、生体、死後轢断の判断材料にはならず、他殺説を否定する根拠にはなりません。また、「生体轢断でも生活反応を欠くことがある」という中館氏の主張は他殺説を批判する理由としては妥当ですが、生体轢断の根拠にはなりません。

 この後、錫谷氏は列車の構造と死体所見を結びつけた独自の視点から、轢断時には下山氏は立位であったという主張を展開します。錫谷氏が注目した解剖所見は、肋骨が破砕され、心臓は破裂するとともにそれを支持する大血管が離断して右肩の離断面まで転位していたという点です。これほど重大で胸部が扁平化するような損傷があるということは、胸腹部前面のほぼ全体に鈍体による極めて大きな外力が加えられたと仮定しなければなりません。下腹部が破裂し多くの臓器が体外に出てしまっている理由も、この胸腹部前面の広い範囲にわたる外力が原因だと考えられます。もし下山氏が以前言われていたように線路上に横たわっていたのであれば、地面と列車の底面との間(31センチメートル)で胸腹部が扁平化するほどの圧迫を受けることはありません。したがって、列車の構造と死体所見から総合して、下山氏は衝突直前には立って列車前面(前端梁)と衝突したと考えなければ胸腹部前面への受傷は説明できないとしています(衝突時に立位だったことは「ほとんど断定に近い確からしさをもって推定される」と述べています)。

 死因は心臓離断で、衝突時の姿勢が立位であることから、自然に考えれば事故死か自殺だとしています。死後経過時間の推定は轢死体では困難で、死後12時間ないし18時間、もしくは死後12時間ないし24時間という広い幅をもった推定しかできないようです。死体硬直を指標にしても、轢断面はもちろんその他の部位の筋肉も損傷が大きい轢死体では、一般死体の基準をそのまま適用できません(p202)。

 最後にかなり大雑把にですが、前回の佐藤氏の生体轢断説と比べてみましょう。轢断面の生活反応が生体、死後轢断の判断材料にならないという点では両氏とも同じです。意見が違うのは睾丸出血についてで、佐藤氏は中館氏と同じく生体轢断の根拠としていいのではないかと主張していますが、錫谷氏はこれもやはり判断材料にならないとしています(しかし、生体轢断で睾丸出血が頻繁に認められることを示すことによって、古畑氏も満足しなかった「局部蹴り上げによるショック」という稀な死因を持ち出す必然性はさらに弱められるとは思います)。そして錫谷氏は成傷体(この場合列車のこと)と死体所見を丹念に照らし合わせることによって、独自の結論に辿り着いたわけです。

 佐藤氏の説は「生体轢断と考えたほうが自然」というレベルなのに対し、錫谷氏の説は「生体轢断と考えなければ説明できない」という更に高いレベルの主張だといえます。

 次回は更に新しい資料を紹介します。



「胸腹部を扁平化する外力」「轢断列車と成傷機序」もご参照ください。
  1. 2007/12/20(木) |
  2. 法医学論争
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プロパガンダと真実と嘘

 柴田哲孝氏は著書で「プロパガンダには真実と嘘の両方が含まれる」と繰り返し述べています(プロパガンダと同じ意味で「偽情報」という言葉も使っています。『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p78、80、219-221、362、439、490、528)。この原則に則って柴田氏は、過去に偽情報と判断された証言からも自らの判断で嘘を切り捨て、真実のみを抽出していきます。しかし読んでいて管理者が感じたのは、どの情報をプロパガンダと見なすか、そして何を真実と見なすかの基準と根拠がいまいちはっきりしないということでした。ひとつの根拠として、下山事件の時効直前に出てきた情報はプロパガンダである可能性が高いというのですが(p147、221、361、362、369、370、397、439、528)、管理人にはそれほど説得力のある根拠とは思えませんし、複雑な推理をするならもっと更に強い証拠を提示して土台をしっかり固めなければならないのではないかと思います。

 例えばAとBという2つの情報があったとします。一般的にはもしAが信用するに足らない嘘の情報だと判断されると、Bの情報からしか推理を組み立てられません。しかしAにもBにも真実と嘘が紛れ込んでいると仮定すると、両方から情報を取り出せます。なにかストーリーを作り上げたい場合に、この方法を用いるとものすごく選択の幅が広がります。情報がA、B、C、D、E・・・と沢山あれば選択肢は更に増えます。しかも都合のいいものを取り出せるだけでなく、都合の悪いものは否定できるのです。

 もちろん、プロパガンダに真実と嘘の両方が含まれるというのは十分ありえることですし、軽々しく嘘だとして切り捨てず、情報を精査することは大事だと思います。ただ、こういう便利な方法ゆえに、真実と嘘の区別をする際の基準はかなり厳しくする必要があるでしょう。また、プロパガンダですらない、すべてまるっきり嘘の情報も存在しうる(おそらくそれが最も多い)ことを忘れてはならないと思います。
  1. 2007/12/20(木) |
  2. 平成三部作
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「狭山事件を推理する」

 「狭山事件を推理する」さんにこのブログを紹介していただきました。狭山事件には詳しくない管理者のような人間にはめちゃくちゃ高度な内容で、法医学的考察の幅・深さも含め圧巻の一言です。うちのしょぼいブログやってて恥ずかしくなるほどです。本当に参考になります。
  1. 2007/12/17(月) |
  2. お知らせ等
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法医学論争(10) 死後轢断鑑定の妥当性の検討その1 佐藤一氏からの反論

 桑島鑑定への自殺説からの反論としてまず挙げられるのは『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏のものでしょう。今回は佐藤一氏による桑島鑑定に対する批判的検証内容の概要を見てみましょう。

 桑島氏は死因をショックとしましたが、後述するようにこのショックという死因は法医学的には苦し紛れに近い推定なのです。では何故桑島氏がそういう鑑定をしたのかというと、「生体が轢断されれば必ず轢断面に生活反応が認められる」という前提を固持したからです。しかし、「法医学論争(5) 慶大中館久平教授、元名大小宮喬介教授からの批判と古畑氏の反論」および「法医学論争(6) 新日本医師協会からの批判」にもあったように、生体轢断であっても轢断面に生活反応を欠く可能性があることは昭和24年当時でも指摘されていました。ただ当時は轢死体の法医学的知見が不足していたため(ほとんど全て自殺か事故死のため現場の検案だけで解剖せずに終わる)、生活反応を欠いていたから死後轢断だ、という東大の主張を論破するだけの十分な説得力がなかったのかもしれません。

 佐藤氏はまずこの前提を批判的に検討しています。弘前大学の研究者らがおこなった動物実験では、生きていても受傷後に出血が認められないときがあり、出血が始まるまでの時間は血圧が下がるにしたがって長くなるとの結果が得られました。したがって強力な外力が体に加わった場合、循環機能の停止と受傷、轢断がほぼ同時に起き、出血が弱いかもしくは認められない可能性があるのです。また佐藤氏は東北大の赤石英教授を訪ね、人間でも同じように衝突の衝撃等で血圧が下がっている状態で轢断されれば、生体轢断でも生活反応を欠くことは十分ありうることを確かめています。ちなみに赤石氏が轢死体に興味を持ち始めたきっかけは、まったく生活反応を欠く自殺轢死体を見てからだそうです。

 佐藤氏は凝固前の血液は水には非常に弱いことも例証しています(古畑氏が実験して確かめ、雨に流されないと主張したのは凝固した後の血液で、轢断時から朝にかけて雨が降っていた下山事件に当てはまりません。『下山事件全研究』p218、224、262、『生体れき断』p192)。三重大学の研究者らがおこなった動物実験では、切創を作った直後だけでなく4〜5時間後でも5ミリの雨量に相当する水をかけることで組織内出血は消えてしまったそうです。切れ味の良くない斧で作った割創でも水量が多ければ組織内出血が消えるということが分かりました。轢断現場の雨量は0時20分前後は1ミリに満たない程度ですが、午前2時には2ミリ、午前4時には5ミリ、午前5時には13ミリもの雨が降っています(『資料・下山事件』p210)。この強い雨が轢断面の生活反応に多かれ少なかれ影響を与えたのは確かでしょう。しかし古畑氏の発言を見る限り雨の影響はないと考えていたようです。

 次に桑島鑑定において極めて重要な位置を占める睾丸出血について検討しましょう。これは既に中館氏が三鷹事件の被害者の解剖結果から、睾丸出血を生体轢断の証拠としていいのではないかという主張をしています(法医学論争(5) 慶大中館久平教授、元名大小宮喬介教授からの批判と古畑氏の反論)。この主張も昭和24年当時は新しく、また例数も少なかったことから十分な説得力をもたなかったようです。古畑氏は三鷹事件の被害者はレール上で死んだのではないので、轢死とはいえないという理由でこの反論を退けています。

 しかし昭和29年に外傷と睾丸出血との関係を体系的に検討した研究が発表されました(『死の法医学』p198-199)。それによると調べた鉄道事故死19例(そのうち17例は下腹部轢断もしくは骨盤骨折など、下腹部に重大なダメージを負っている)全てにおいて睾丸出血が認められました(下山氏も同様に下腹部と骨盤に重大な損傷があります。「法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖」)。また、昭和35年にも同様の研究が発表され(『下山事件全研究』p270-273)、やはり轢死をはじめとする外傷死で下腹部や骨盤に大きな損傷がある場合は、そのほとんどにおいて睾丸に出血があることが明らかにされました。下腹部へのダメージによって内精索動脈・静脈に圧が加わり、睾丸を含む性器周辺に出血をもたらすと考えられ、確認のためにおこなわれた動物実験の結果もこの仮説を支持するものでした。

 このように後の研究によって轢死体と生活反応、および睾丸出血の関係は徐々に明らかになっていきました。しかし、当時としてはしかたないことなのかもしれませんが、東大法医は「生体が轢断されれば必ず轢断面に生活反応が認められる」という原則に最後まで忠実でした。原則を守る以上下山氏は轢断以前に死んでいたとしなければならず、また列車との衝突によるもの以外のなにかしらの死因を見つけなくてはなりません。そこで最もあり得そうなのが局所蹴り上げによるショック死だったのです。ただ、最もあり得そうとは言っても局所蹴り上げによるショック死という例はほとんど皆無に近く、桑島氏も「次は死因でありますが、下山さんの場合はこれであると確実なものをあげることは遺憾ながら出来ないのであります。一番可能性のあるのは、私はショックであろうと見ております。」「(ショック死では)器質的変化というものはほとんど出てこないわけです。そのためにショックであるという証明は大変むずかしいわけでして…」(『資料・下山事件』p235、240)と自らの死因判断の弱さを認めています。『死の法医学』の著者、錫谷徹氏も「ショックに特有な、死体所見がないので、解剖所見だけからショックという死因判断は下せない。あくまで推定にとどまる。…(中略)…つまり、法医学の立場からいえばショックは死因概念としてまだ熟していないのである。」(p106)。『標準法医学・医事法』にも「(ショックは)臨床的概念であるので、死体検案や解剖のみで確定診断することは困難である」と書いてあります(p138)。

 佐藤氏はまた、陰嚢に皮下出血も表皮剥離も起こさずに睾丸に出血をもたらすような鈍力は考えにくいのではないかと主張しています。睾丸出血を引き起こすような強烈な鈍力が、睾丸よりも外界に近い陰嚢の表皮や血管になんらかのダメージを与えないはずがないのではないか、ということです。左右の手背部、左右の下肢、両方の眼瞼や結膜といった睾丸以外の場所の生活反応についても、あまりに左右対称すぎる点、皮膚の深い部分に出血があるにもかかわらず表皮に異常がない点を指摘、そして轢死体に同様の皮下出血や溢血点が認められる例が多くあることを法医学の文献から引用し、下山氏の体に認められた生活反応を生前受けた暴行によるものと考えるのは無理があるとしています。

 以上をまとめると佐藤氏は、(1)生体轢断であっても生活反応が認められない場合がしばしばある、(2)もし下山氏の死体の轢断面に生活反応があったとしても、豪雨で流された可能性が十分にあったためそれを理由に死後轢断とは言い切れない、(3)睾丸など各所の出血や溢血点は轢死体にしばしば認められる、という理由で強引に生前の暴行を仮定したりショックという死因を持ち出したりせずとも、生体轢断だと考えればすべてのことが無理なく説明できると主張しています。特に(1)は東大鑑定の土台である「生活反応を欠く轢死体はない」という当時の常識が、後の法医学の進歩によって塗り替えられているという点で意義深いのではないかと管理者は思います。

 次回は佐藤氏とは部分的に重複しつつも異なる説明をしている錫谷徹氏の生体轢断説を紹介します。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
錫谷徹著 『死の法医学 下山事件再考』(北海道大学図書刊行会)
下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)
石津日出雄・高津光洋編 『標準法医学・医事法 第6版』(医学書院) 
  1. 2007/12/17(月) |
  2. 法医学論争
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法医学論争(9) ショック死説と失血死説

 死後轢断という鑑定結果の妥当性を検討する前に、桑島氏のショック死説と古畑氏の失血死説(法医学論争(7) 古畑氏の失血死説)を比較してみます。

 桑島氏がショックを死因として挙げた根拠は大雑把に言って(1)轢断部に生活反応が認められなかった(したがって死後轢断)、(2)局所周辺に生活反応が認められた、という2点です。「死因としてのショック」の妥当性の検討は次回に譲るとして、解剖所見に基づいた判断であり筋が通っているといえます。

 では古畑氏が失血死説を唱えた根拠を見ていきましょう。やはり桑島氏と同じようにまず最初に「生活反応の有無」を生体轢断か死後轢断かの最も重要な判断材料とし、下山氏の死体の轢断面がそれを欠いていたため死後轢断と判定しています(『資料・下山事件』p208)。次に失血死の根拠として古畑氏が挙げたのは、(1)死斑が通常の死体より少なく、死体の血液量が少ないと考えられた、(2)轢断現場に血がなかった、(3)衣服にも血痕がなかった、の3つです(『下山事件全研究』p236-238、242)。古畑氏はさらに右肩の轢断部を出血部位だと具体的に推定しています。(局所周辺の生活反応については桑島氏と同じく蹴り上げで生じたとしていますが、古畑氏はそれがショック死につながったとは考えていません)

 これら3つの根拠は失血死を示唆するいわば状況証拠のようなものです。失血死を死因とするならやはり解剖所見が最重要視されます(古畑氏自身も著書でそう述べているそうです。『下山事件全研究』p293)。下山氏の体重を72-75キロ前後とすると失血死するには約2リットルの血液が流出しなければならず、相当はっきりとした損傷が体のどこかにあったはずです。

 しかし実際は「法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖」で述べたように、皮下出血を除いては、全身のどこの皮膚にも生前に出来たと思われる傷はなかったのです。桑島氏は下山事件研究会に招かれて証言した際、失血死説について次のように述べています(下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)。

p225-226
よく下山さんの死因に関係いたしまして、血を抜いて殺したのではないか。そしてその血を抜いたあとがこの右手の腋の辺であって、それをちょうど汽車に轢かせてわからなくしたために、死因が不明ではないかと、いう疑問を持たれる方があるかと思いますが、とれた右手を肩の傷につなぎ合わせますと、ぴったりとつくわけでございまして、出血死を考えられる方は、こういうところの写真も詳細に研究されたらばと思うのでございます。

p234
おまえは出血のあったのを見落としたのだろうという人があるかもわかりません。けれどもさっき申しましたように私としては十分綿密に検査をやりましたので見落としは絶対にないと信じています。


 「おまえは出血のあったのを見落としたのだろうという人」とはおそらく古畑氏でしょう。『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏はこの証言を直に聞いていたそうですが、桑島氏が失血死説について語るとき、口調は挑戦的になったといいます。それはさておき、桑島氏は自ら解剖し「これ以上綿密な検査は出来ないというところまで」やっており、仮定の上に成り立っているにすぎない失血死説よりはるかに説得力があるといえます。実際古畑氏は「疑いで証明していませんから、なんともわかりませんけれども」と自説の根拠の薄弱さを認めています(『資料・下山事件』p212)。

 桑島氏が失血死説を否定する根拠はさらにもうひとつありました。もし失血死なら「全身のどこでも一様に血量が少なくなっている」はずなのに肺臓には血液が多かったことです。失血死説ではこの事実を説明できないのです。筋肉や肝臓に血液が少なかったのは、轢断時に列車と地面の間で体が回転し遠心力によって血液が体外に出たのだろうと推測しています(『資料・下山事件』p237。監察医の八十島氏も死斑が見られなかった理由として桑島氏と同じ推測をしています。法医学者として妥当な判断なのだと思われます)。また、線路の上には体内から出た血液は全部あるはずだが非常に広い範囲に飛び散る上に雨の影響もあり、調べにくいとも述べています。この桑島氏の証言は、バラスを掘り起こして血液反応を調べたが強い反応はなかったという古畑氏の調査結果(もしくはそこから導き出された「線路上に血液はなかった」という結論)を否定するものといえるでしょう。

 では雨の影響を受けない列車の底面はどうだったのかというと、轢死現場や列車の検査に慣れた国鉄関係者でも「稀に見るほどの多量の血痕」が付着していたそうです。また線路上の血についても他殺説の文献ではあたかも血液がほとんどなかったかのように書かれていますが、現場検証の際には大雨の後にもかかわらず目視でさえ相当数の血痕が見つかったとのことです。これらの事実を踏まえると、古畑説の根拠のひとつ「轢断現場に血がなかった」という認識自体の妥当性が疑われます。(※「線路上には血液がほとんどなかった」と他殺説の文献では紹介されていますが、これは強調されすぎているか歪曲されているように管理者には思われます。例えば、顔面や胴体があった場所の下には血液がなかったというのは(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p97)、その場所に行くまでにあらかた血液が遠心力で体外に出てしまっているはずですのでまったく不自然ではありません。しかも「顔面や胴体の下に血液がなかった」からといって「線路上に血液がなかった」ということにはなりません。また体内に血液が少なかったことも損傷の激しい轢死体にはよくあることで、「奇妙なこと」(『シモヤマ・ケース(文庫版)』p54)ではないのです。

 最後に「衣服にも血痕がなかった」かどうかを検討してみましょう。これもやはり捜査官や鑑識課員によると量の多少は不明なものの、血痕が付着していたという記憶及び記録があるようです。線路と列車の底面に多量の血液があったのですから当然でしょう。

 管理者の個人的感想を述べますと、桑島氏の鑑定を無視し、著書等で繰り返し失血死説を唱えるという古畑氏の行動にはどうしても疑問を抱かざるを得ません。生活反応の有無から死後轢断を主張するのは分かるのですが、失血死説はまったく理解できません。

 以上に述べたように古畑氏の失血死説には否定的な材料こそあれ、確たる根拠は一切ないことがはっきりしました。次回の東大鑑定の妥当性の検討では桑島説(ショック死説)のみを取り上げます。
  1. 2007/12/14(金) |
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「事件関係ブログ」

事件関係ブログ
http://flowmanagement.jp/wordpress/

 「事件関係ブログ」さんで当ブログを紹介していただきました。事件関係ブログさんでは下山事件だけでなく、津山事件と狭山事件も紹介されています。事件マニアには垂涎もののサイトです。

 下山事件に関しては今のところ「秋谷鑑定」(いわゆる「下山油」の鑑定)について考察されています。当ブログでも今後秋谷鑑定を取り扱う予定ですが(血痕問題が終わった後あたり?)、とても参考になります。管理者が知る限り、ネット上で秋谷鑑定についてここまで詳しく知ることができるのは事件関係ブログさんだけだと思います。今後の更新が楽しみです。
  1. 2007/12/12(水) |
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法医学論争(8) pH時間測定法の科学的妥当性

 古畑氏によると20分以内で死亡時刻を推定できるというpH時間測定法ですが、本当にそこまで有用なものだったのでしょうか。「法医学論争(6) 新日本医師協会からの批判」と重複する箇所もありますが、その科学的妥当性と有用性について今回は検討してみます。

 『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏は複数の学者に意見を聞いています。簡単にまとめると、1)性別、年齢、健康状態、空腹か満腹か、疲労度、地域差、死因、これら多くの因子が筋肉のpH値に影響するため、基準となるpH値の時間的変化そのものを決めることが難しい、2)測定したpH値のバラツキが非常に大きい上に、値の僅かな変化が推定時間に大きく影響してしまう、という理由でその後は使われていないのだそうです。秋谷教室で当時助教授だった塚元久雄氏は「あの方法はダメですよ。問題にならないですね。…(中略)…そのうえ、あの事件の当時はpH測定をロ紙でやっていたんですからね。ロ紙ですよ。正確な値が出るわけがないじゃありませんか」と述べています(『下山事件全研究』p253)。

 これだけで結論としては十分な気がしますが、もう少し詳しく見てみましょう。「法医学論争(4) 秋谷七郎教授のpH時間測定法による死後経過時間の推定」の方法の紹介とpH時間曲線の図を参考にしてください。既に上で指摘されていますが、pH値の変化は最小値と最大値の差でもわずかなため、0.1程度の誤差でも推定時刻に大きな狂いが生じることが分かります。また、pH時間測定法では標準曲線が死後の筋肉の「理想的なpH時間曲線」(基準)であることが前提となっていますが、モルモットの個体差、死因(絞殺、毒殺等)、温度等によってかなり異なる形の曲線が得られ、相当なバラツキがあるようです(データ数が少なすぎるので個体差の効果なのか死因・温度の効果なのかハッキリしませんが)。ここで忘れてはならないのは、秋谷氏が死亡時刻推定のために使った標準曲線のもとになったモルモットと下山氏では種、死因、死後の諸条件など(温度等)すべてが違うということでしょう。果たしてモルモットのpH値を基準と見なしていいのか疑問です(秋谷氏は種差は問題ではないと言っていますが、具体的なデータがあったわけではありません)。

 pH値の測定法も事件当時は感度が低い(単位0.2以下は測定不能)上に実験者の主観も混ざるロ紙法を使っており、わずかな誤差が大きな推定時間の違いとしてあらわれるpH時間測定法としては問題がありました。また、標準曲線と死体のpH時間曲線が最もフィットし重なり合う位置というのは、なんと測定者の「主観」によって決められていたらしいのです(おそらくこれが下山氏の推定死亡時刻が何回も訂正された理由のひとつだと考えられます)。上記のふたつの過程で主観が紛れ込むpH時間測定法の客観性と科学性は、秋谷氏や古畑氏が言うほどのものではなかったようです。

 最後にダメ押しで他の研究者のふたつの追試実験の結果を紹介します。人間を使った実験の結論は「個体差が大きすぎ、pH法だけで死亡時刻を推定することはできない」というものでした。家兎を使った実験では、同一個体から取った筋肉を別々のシャーレにとってpH値の継時的変化を見てみると(これは秋谷氏と同じ方法)、28時間後にはpH値に相当な違いが見られたそうです。pH時間測定法の前提からすると同じ形の曲線が得られるはずですが、秋谷氏の方法では、同一種同一個体の筋肉を使ってすら安定したpH値の時間的変化が得られなかったということです。

 八十島信之助氏(下山氏の死体を医師として最初に見たあの八十島氏です)は『法医学入門』(中央公論新社)のなかで死後経過時間の推定について「どの死体現象にも環境の条件が大きく作用する…(中略)。では各種の死体現象の中でなにがいちばんたよりになるか、どの数値をもっとも重視して総合的な判断をすればよいかといえば、環境条件による変動がなるべくすくないもの、ということになる。また死体の個人差もなるべくすくないことがのぞましい」と述べています(p166)。秋谷氏のpH時間測定法はそれらの条件に合わなかったようです。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
  1. 2007/12/11(火) |
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法医学論争(7) 古畑氏の失血死説

 他殺説の文献だけを読んでいるとはっきりと分からないのですが、鑑定書を作成した桑島氏と古畑氏とでは、下山氏の死因についての考え方が違うのです。桑島氏は既に紹介したように(法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖)、局部蹴り上げによるショック死説を唱えています。それに対し古畑氏は、特に事件から時間が経つにつれて失血死説を唱えるようになります。東大法医学教室としての正式な見解は、昭和24年12月30日に検察庁に提出された鑑定書にあるように一応「ショック死」なのですが、注意深く見てみると古畑氏がそれに満足していないことがわかります。例えば、桑島氏は司法解剖のわずか数日後にはショック死の可能性を指摘し始めているのに対し、古畑氏は昭和24年8月30日の衆議院法務委員会に召集されたときも「死因はまだ不明」と述べています(このときに「桑島がつまらんことをいってしまって」とぶつぶつ言いながら、桑島氏をしかりつけている古畑氏が新聞記者に目撃されています)。東大内部でさえ死因については一枚岩ではなかったということです。

 いつごろから死因として失血死を考えていたのでしょう。最も早い時期に活字として残っているのは昭和25年7月5日付けの朝日新聞で、古畑氏が失血死の可能性が強いことを認めているとする記事があります。古畑氏自身が書いたもので初めて明確に失血死説を唱えたのは、昭和33年9月に発行された『法医学の話』(岩波書店)で、死体と轢断現場にはほとんど血液が残っていなかったため、ほかの場所で血を抜かれて死んだのだろうと推測しています(p25)。

 後で桑島氏の説と古畑氏の説を比較しながらより詳しく検討します。
  1. 2007/12/10(月) |
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法医学論争(6) 新日本医師協会からの批判

 東大法医の鑑定に対して新日本医師協会は公開状で批判を展開しました。公開状はもともとは新日本医師協会の会誌に掲載されたのですが、下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)所収のもの(p244-249)を参考に要点を以下にまとめてみます。

 下山事件の司法鑑定結果をめぐって法医学者の見解に対立がある。多くの報道機関は一方的見解のみを伝え、国民に混乱と誤解をもたらす可能性がある。よって新日本医師協会は次のような見解を公表する。

一、法医学会の危機について
 法医学会理事古畑氏は、7月30日に法医学会緊急理事会を開き、学会として公式に他殺の声明を発表しようとした。何人かの理事の反対で実現しなかったが、危うく法医学会は某方面の御用機関となるところであった。
 緊急理事会では他殺説への批判的意見は制限され、出席者は今後下山事件に関する発言を慎むよう発言した。このような一部ボス学者の高圧的態度は法医学の権威を失墜させるものである。


二、法医解剖学的見解
・死後轢断すなわち他殺ではない。最初の外傷によって即死し、その直後轢断された場合には生活反応を欠くことがある。
・生体轢断でも多量の出血を伴わないことも多く、三鷹事件の犠牲者には睾丸皮下出血も認められた。
・轢死体に関する法医学的知見は少なく、確固たる体系が存在していない。他殺後の轢断死体の司法解剖例はほとんどなく、古畑氏のように単純に結論を導くべきではない。しかし一般的に見て自殺と考えて問題はない。
・死体は轢断され、雨の中一夜放置され、基礎所見そのものが相当荒れている。
・古畑氏は生前の傷が轢断より時間的に相当先行しているとして他殺を推定したが、相当先行しているという根拠を示せていない(小宮氏の批判に反論できていない)。
・下山氏の死体には心臓や肺などの胸部に重大な外傷があり、心臓の急激な停止後では出血を伴わない轢断も十分考えられる。
・古畑氏が生前のものと判定した皮下出血が殴打暴行によってできたとする説明は、根拠が薄弱で科学的検討が必要である。
・出血のない死後創と判定された傷も、血が雨に流された可能性を考慮しなければならない。しかも外傷による急激死においては、血液凝固能の急激な減少が起こりうる。

 以上の見解にもとづき、他殺説を非科学的と断ずる。


三、裁判化学的見解
・秋谷氏の見解の基礎となったモルモットを使った実験は、死後「日単位」の実験を主として行っていたものであり、下山事件のように「時間単位」の推定を行うのは無理がある。しかもクロロホルム麻酔死のモルモットの結果を人体に、しかも下山事件のような重大事件に初めて応用し大々的に結果を発表するという行為は謙虚な科学的態度とは言えない。人体例もあまりに少なく、モルモットの例数さえ十分ではない。
・モルモットで行われた実験条件(摂氏30℃)と下山氏の死体が放置されていた条件(轢断された後に一中夜雨ざらし。温度はおそらく30℃より低い)があまりにも違いすぎる。これだけ条件が違えば酵素反応の速度もかなり違ってくるはずで、モルモットのデータから下山氏の死亡時刻を推定することは困難である。
・秋谷氏の酸性度測定の方法はテストペーパー(ロ紙)を使用したもので精度に欠ける。

 以上の見解にもとづき、秋谷氏による死亡時刻推定を非科学的と断ずる。


 管理者は的を射た批判だと思います。ちなみに矢田喜美雄氏は著書『謀殺 下山事件』(新風舎)で、この新日本医師協会の公開状を簡単に紹介しています(p293-296)。内容に具体的な反論はせず、ただ新日本医師協会を含む「進歩的」とされる団体が何故他殺説を否定したのかということについて自身の考えを述べています。読めば分かるように、公開状の内容は政治的・思想的なものではなく主に科学的なものです。矢田氏は科学的なレベルの批判に対して何故か政治的なレベルの反論(と呼んでいいのか分かりませんが)をしたことになります。
  1. 2007/12/10(月) |
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引っ越してきました

 下のブログから引っ越してきました。しばらくはここと下のふたつのブログを更新していきますが、多分下のブログは近いうちに無くなります。

http://blogs.yahoo.co.jp/lkdpon
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(5) 慶大中館久平教授、元名大小宮喬介教授からの批判と古畑氏の反論

 轢断面に生活反応が認められないなど、東大法医学教室の死後轢断という判断に猜疑をさしはさむ余地はないように思われましたが、有力な法医学者から批判が出ました。下山事件と言えば思い出される、いわゆる法医学論争の始まりです。ここでは、新聞記事、昭和24年7月30日の法医学会緊急理事会、同年8月30日の衆議院法務委員会、および小宮氏、古畑氏、桑島氏の東大での会談内容などを元にして中館氏と小宮氏からの批判の要点をまとめます。

慶大中館氏からの批判
・秋谷氏のpH時間測定法はまだ確立された方法ではないので、参考程度にしかならない。
・飛び込み自殺では出血が少ない場合がある。
・三鷹事件の犠牲者(生体轢断)の多くで睾丸、陰茎、陰嚢の表皮剥離を伴わない皮下出血が見られた。性器の皮下出血は生体轢断の証拠と言えるのではないか。また、性器以外にも眼瞼、手背部には下山総裁と同様の表皮剥離を伴わない皮下出血が見られた。これもやはり生体轢断の特徴なのではないか。
・局部に鈍力が加わってショック死するという例は聞いたことがない。

元名大小宮氏からの批判
・中館氏と同じ理由でpH時間測定法を批判。
・轢死(生体轢断)の場合、まず列車に当たった衝撃で瞬間的に心臓が止まる。その後に体が轢断されても、心臓がポンプとしての機能を停止しているのだから、出血等の生活反応が見られなくても不思議ではない。
・局部等の生活反応が轢断される前に人からの暴力によってできたのか、列車に当たってできたのかは警察の捜査を待つべきで、他殺だと結論を急ぐべきではない。
・機関車底面についていたという血はゼリー状だったというが、凝固能力の高さを考慮すると生体から出た血液だった可能性が高いのではないか。
・局部の出血については、必ずしも鈍力によるものではない可能性がある。
・轢断面の出血は雨に流された可能性もあるし、非常に早いスピードで切断されると出血が少ないこともある。
・四肢の先端部の皮下出血は左右対称すぎ、直接その部位に鈍体作用を受けて出来たものというより、血管運動中枢が強い衝撃を受けて、その結果末梢の血管から出血したのではないか。

東大古畑氏からの反論
・まだ自殺とも他殺ともはっきりと言ったことはない。死因はまだ不明(8月30日の発言)。
・雨に打たれても轢断面の出血は残る。
・三鷹事件の死体はレール上で轢かれたものではないので、轢死体とは認められない。したがって、三鷹事件の死体所見を下山事件のそれとは比較できない。
・中館氏は轢断面の生活反応について何も考えていない。
・pH時間測定法は人間に適用しても20分以内の誤差という正確な結果が得られたので問題ない。


 参考までに記しますが、昭和24年7月30日の法医学会緊急理事会で古畑氏は「学問は国家のために奉仕しなければならない」と発言したそうです(『下山事件全研究』p213)。また、『法医学』という書籍の序文で「法医学は公安医学である」とも述べています(『下山事件全研究』p292)。古畑氏の法医学という学問に対する考え方がよくわかります。
  1. 2007/12/09(日) |
  2. 法医学論争
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髪の毛一本さえ残されていなかった?

 事実確認が杜撰なところは細かくてもどんどん指摘していきます。今回は、諸永裕司著 『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)です。

 下山総裁らしき人物が休憩した末広旅館に関する記述で諸永氏は「末広旅館には…(中略)…髪の毛一本さえ残されていなかった」(p176)と書いていますが、実際は布団から形状が総裁のものと酷似した毛髪が二本見つかっています(佐藤一著 『下山事件全研究』p135、423、431、平正一著 『生体れき断』p92、関口由三著 『真実を追う』p110)。当時は形状比較のみの鑑定で、決定的証拠にはならなかったのですが、「髪の毛一本さえ残されていなかった」という記述は明らかに間違っています。
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(4) 秋谷七郎教授のpH時間測定法による死後経過時間の推定

 東大裁判化学教室教授、秋谷七郎氏が取り組んでいたpH値を死後経過時間の推定に応用するというアイディアは、当時非常に画期的なものでした。死後経過時間の推定は、様々な死後現象の確認、医学的知識、および経験にもとづいて総合的になされます。言いかえると、どのケースにも当てはまるような基準はなく、医師の力量に大きく依存しているということです。pH時間測定法は、同じ手続きをふめば誰もが同じ結果を得られるという、死亡時刻推定のための正確な物差しなのです。管理者のような素人が考えてもこの方法の重要性は容易に理解できます。古畑氏曰く、pH時間測定法の判定誤差は20分以内だそうで、これは現代の法医学の水準から考えても驚くべき精度だと言えるでしょう。では以下にこの方法の簡単な説明と、測定結果を記述してみます。

 死後の筋肉の化学的変化を指標として、死後経過時間の推定に応用したのが秋谷氏のpH時間測定法です。この方法ではまず実験動物(モルモット)の筋肉を実験試料として、任意の時間間隔でpH値を測定します。次に縦軸をpH値、横軸を時間としてプロットし、標準曲線を求めます(pH時間曲線)。大事なのは実験動物を使っており死亡時刻がはっきりとしているといるため、死亡後のpH値の時間的変化が正確に得られるということです。この標準曲線は、死後のpH値の変化を示すいわば「理想的な曲線」であり、これが常に「基準」となります。

 では次にいつ死亡したのか分からない死体の死亡時刻の推定方法の説明に移ります。まず死亡時刻が明らかでない死体の筋肉を使って、標準曲線を求めたときと同じようにpH時間曲線をえがきます。次にその曲線を標準曲線と重ね合わせて最もよくフィットすると思われる位置を決めます。そして死亡時刻不明の死体の筋肉のpH値の測定開始点を標準曲線座標上の時間軸で読み取ります。その時刻が15時間目であったとすると、その死体は測定開始時より15時間前に死亡したと推定されるのです。



pH curve

pH時間曲線(『下山事件全研究』の図を参考に作成)

 秋谷氏は当時最新のpH時間測定法を下山事件で「初めて人間に応用」し、総裁の死亡時刻を推定しています。推定時刻は以下のように何回か変更されました。

「5日の午後9時頃から同11時の間」(昭和24年7月9日、朝日)
「6日の午前0時の前後1時間ずつの間」(昭和24年7月23日、毎日)
「(5日夜)11時-12時」(昭和24年7月31日、朝日)
「『(5日夜)11時から12時』より前」(昭和25年4月28日、朝日)

 いずれにせよ、列車が通過した6日0時20分前後よりも早い時刻に死亡していたであろうことが、当時最新の科学的方法によって推定されたのです。死後轢断という司法解剖の結果とも合致しました。秋谷氏は昭和24年7月14日付けの読売新聞で「下山氏ははっきり他殺だと自信をもっていえます」と述べています。測定結果に自信があったのでしょう、秋谷氏は古畑氏よりもかなり大胆な発言をしています。



pH時間測定法による死亡時刻推定の最終結論は「(5日夜)11時から12時より前」だと思うのですが、矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件』(新風舎)では「五日二十一時三十分ころ」で「轢断される三時間以上も前だった」としています(p97)。柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)でも「五日二十一時三○分を中心に前後二時間以内(すなわち八六九列車に轢かれる三時間近く前)と確認された」と書かれています(p102)。もしかしたら更にもう一度訂正されて新たな結論がどこかで発表されたのかもしれません。ここらへんは管理者も自信がないのでソースを探しています。桑島氏は司法解剖の結果、死亡時刻を5日9時30分前後2時間としています。

※※
「事件関係ブログ」さんに教えていただきました。上記のpH時間測定法による死亡推定時刻は「昭和39年6月26日 衆議院法務委員会議事録」のもののようです。衆議院法務委員会議事録については事件関係ブログさんの下山事件: 「秋谷鑑定」 その6をご覧ください。Web上で読むことができます。どうもありがとうございました。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(3) 桑島直樹講師による司法解剖

 今回は桑島氏の鑑定内容の紹介です。法医学論争の基礎となる非常に大事なところです。鑑定書の結論部分や桑島氏による解剖結果の説明をもとに、管理者なりにまとめてみました。やや煩雑ですがご容赦ください。詳しく知りたい方は下の参考文献をご覧になってください。


(1)右上肢は肩で、左右下肢は足関節付近で、離断している。離断面に生活反応はない。
(2)顔面部全体はお面を脱いだように頭部から取れている。顔面、頭部の傷には出血はない。頭蓋骨は粉砕されている。
(3)両目は開き、僅かに混濁している。
(4)左右眼瞼結膜には半米粒大以下の溢血点がある(生活反応)。
(5)右胸胸部で乳頭下方に皮下溢血点がある(生活反応)。
(6)左右手背部から指先は紫色に皮下出血をしている(生活反応)。
(7)右肩の離断面から孔のあいた心臓が飛び出している。
(8)腹部から臓器が飛び出している。
(9)筋や肝臓には血液が少ないが、肺臓には血液が多い。
(10)臓器の多くは挫滅されている。胃腸内は空虚。胃粘膜と腎盂粘膜に小さな出血あり(生活反応)。
(11)大動脈、心臓、肺、腎臓、膵臓、肝臓には病的変化はない。
(12)陰茎、右睾丸には、それぞれ表皮剥離を伴わない皮下出血をがある(生活反応)。
(13)足関節周辺および足背部に少数の皮下出血がある(生活反応)。
(14)皮下出血を除いては、全身のどこの皮膚にも生前に出来たと思われる傷はない。顔面、右上肢、左右下肢の離断面の皮膚もつなぎ合わせるとぴったりと合い、欠損部はない。
(15)皮膚は蒼白で、死斑はほとんど認められない。全身に出血を伴わない鈍創傷がある。
(16)第一頸椎と、第二頸椎前半は粉砕されている。脊椎骨、肋骨、骨盤骨が折れてねじれている。
(17)脳は350グラムしか残っていない。
(18)薬物は検出されなかった。
(19)死体硬直は解剖開始時に中程度で、終了時には完成していた。
(20)死亡時刻は5日の午後9時30分から前後2時間以内(死体硬直からの推定)。
(21)他殺されたものと推定する。

 おそらく最も大切なのは、(1)の「離断面に生活反応はない」ということでしょう。生きている人間が轢断されたのなら生活反応が見られるはずだと東大法医は考えたので、死後に轢かれたという結論になりました。後に桑島講師は(12)の性器の皮下出血を理由に「局部蹴り上げによるショック死」を死因として主張するようになります。また、(6)左右の手首より先が紫色に皮下出血をしていることから、生前下山氏が監禁状態に置かれ、縛られていたからではないかと推測しています。

 解剖は通常2時間もあれば十分終わるものらしいのですが、下山氏の場合は極めて慎重かつ徹底的に行われました(午前1時40分から午前5時12分までの約3時間30分)。桑島氏は「これ以上綿密な検査は出来ないというところまでやった」そうです(『資料・下山事件』p229)。


錫谷徹著 『死の法医学』には右陰嚢にも出血あり、とありますが桑島氏の証言を見るとおそらくそれは間違いです。




【参考文献】
佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)
下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)
錫谷徹著 『死の法医学』(北海道大学図書刊行会)
関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)
佐久間哲夫著 『恐るべき証人』(悠飛社)
  1. 2007/12/09(日) |
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不審死? 謎の死?

 下山総裁を轢断した列車の機関士Y氏に関する記述で気になる点を見つけたので、柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)より引用します。

ちなみにY機関士は事件から七ヵ月後の昭和二十五年二月十九日、四十六歳の若さで不審死を遂げている。(p96)

そして事件から七ヵ月後、Y機関士は謎の死を遂げた。(p355)

轢断列車の機関士だったYKは、事件から七ヵ月後に変死した。(p462)


 不審死、謎の死、変死とありますが、いったい具体的にはどんな亡くなり方をしたのでしょうか。佐藤一著 『下山事件全研究』、平正一著 『生体れき断』、宮城音弥・宮城二三子著 『下山総裁怪死事件』などを見てみると、胃潰瘍の手術後、腸閉塞を併発して亡くなったそうです(『下山事件全研究』p452、『生体れき断』p74、『下山総裁怪死事件』p181)。Y機関士は若い頃下山氏にお世話になったことがあるそうで、総裁を轢断してしまったことを非常に気に病み、深く悩んでいたようです。大量の人員整理後で休暇もまったく取れず働きづめなうえ、死の前日まで検察事務官が家に来るなど執拗な取調べもありました(乗務が終わって水戸に帰るも、しばしば呼び出しですぐに東京の警視庁に出向かねばならず、暇がないため病院に行くのも遅れました)。Y機関士の体が病魔に冒されたのはおそらくこれらが主な原因でしょう。詳しく書きませんが、『下山事件全研究』にはご遺族の辛い思いも記されています。

 何をもって「不審」「謎」とするのかは人それぞれでしょうし、陰謀に加担した罪の意識に苛まれて身体が弱ったのだ、と勘ぐることも可能と言えば可能かもしれません。事実他殺説によるとそういった見方があります。しかし、管理者は胃潰瘍と腸閉塞で亡くなった方に対して、「不審死」「謎の死」「変死」という言葉が使われていることに違和感を覚ざるをえません。『下山事件 最後の証言』では最終的にY氏は変死ですらなく、殺されたことになってしまっています(p466)。
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(2) 八十島信之助監察医の証言

 当時東京都監察医務院の八十島信之助氏は下山総裁の死体を医師として初めて見た人物です。八十島氏は、それまでの三年間に約百体もの轢死体を見ていました。それら線路上での死体は全て事故もしくは自殺によるもので、下山総裁の死体を調べたときも、「それまでに見てきた死体と違うところはないか」という点に注意したそうです。下山総裁の死体は皮下組織内の出血(生活反応)は少ないが、自身の経験及び文献から轢死体の生活反応は著しくないということを知っており、総裁の死体を自殺死体と認めても問題ないと判断しました。また、死斑が見られなかったことから現場で死んだと八十島氏は考えました(もし現場で轢断される前にどこかで殺されるなどして死亡し、それから現場まで運ばれ列車に轢断されたなら、時間的に既に死斑が生じているはずだと考えられたため。轢断から約6時間後(推定)に八十島氏による検死は行われました)。

 要するに下山総裁の死体は、八十島氏がそれまでに見てきた事故もしくは自殺による轢死体と特に異なる点は無かったということです。このような場合、監察医による現場での検案だけで終わるのですが、当時の緊迫した社会情勢と下山総裁の立場を考慮し、より詳しく死体状況を調べるため司法解剖の手続きが取られました。


死斑…死亡・心拍停止後、血液は循環を停止し、重力によって死体の低いところに就下する(血液就下)。死斑とは、就下した血液によって皮膚表面に見られる紫赤色斑のことを指す。死後1〜2時間で現れ始め、5〜6時間で著明となり、12〜15時間で最高になる。
  1. 2007/12/09(日) |
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平成三部作と法医学

 今回は平成三部作のなかの法医学の取り扱いについて思うことを。まずは平成三部作の著者たちの取材姿勢を象徴的に示す文章をご紹介します。以下は森達也氏が右翼の人物を取材して話を聞いた後、所感を述べている部分です(『シモヤマ・ケース(文庫版)』(新潮社)p165)。

……文脈としては魅力だった。でも文学的過ぎるという自覚もあった。妄想とは言い切れないはずだが、でも謀略史観に陥る愚は犯したくない。とにかく結論はまだ不要だ。今の僕がすべきことは、徹底した事実の拾い起こしと集積だ。ピースを集めないことにはジグソーパズルは始められない。


 安易に「謀略史観に陥る」べきではなく、「徹底した事実の拾い起こしと集積」をすべきというのには全く同意です。しかし言うことはまっとうな割に行動が伴っていないように思えるのは管理者だけでしょうか。自殺か他殺かという最も基本的なところを調べる前に、なぜ右翼の人物と会って話を聞いたりしているのでしょう。管理者には森氏が自ら「謀略史観に陥」って推理ごっこ(ジグソーパズル)をしたがっているようにしか見えません。

 本当に真相が知りたいのなら、まず第一に基本的事実を徹底的に洗いなおすのが筋でしょう。例えば、現代の法医学者が当時の法医学鑑定をどう考えているのかという問題は、非常に興味深いことなはずです。しかし、平成三部作の著者らはなんと「誰一人として法医学者のところに行って意見を聞いていない」のです。彼らも彼らなりに著書の中で法医学的考察をしているのですが、そのレベルは驚くべきことに「昭和24年当時」のものです。法医学者の意見を仰ぐことなく、当時の法医学の知識に則って考察し結論を出しています。新しい法医学的知見は真相解明に必要ないというのでしょうか。
  1. 2007/12/09(日) |
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法医学論争(1) 生活反応とは

 今回から法医学論争関係の内容になります。論争の内容の説明、自殺説と他殺説のそれぞれの妥当性の検討などをおこなう前に、しばらくは基本的な概念や事実関係の確認をすることになると思います。のんびりいきます。

 論争の内容を理解するために非常に重要なキーワードとして「生活反応」があります。簡単に言うと生活反応とは「生きている人や動物に何らかの刺激が加えられた際に生ずる生理学的反応」ということになります。生活反応は生体に特有で、死体には生じません。例えば、生きている人の皮膚を掻くと赤くなりますが、死体の皮膚を掻いてもそうなりません。この生活反応を詳しく調べることによって死因等の法医学的に重要な情報が得られます。今回はとりあえず生活反応という用語を理解しましょう。

 少し専門的になりますが、以下に法医学書から生活反応の定義を引用します。ちなみに当ブログで管理者は自分自身について殆ど何も語るつもりはありませんが、最初にひとつだけ断っておきますと管理者は医療関係者ではありません。そのために今後記述に不正確な点が出てくるかもしれませんが、ご容赦ください。素人の書くものなのでご覧になる方の中には内容に疑問を持つ方もいらっしゃることと思います。そういうときはやはり下山事件や法医学関係の資料を直接調べるのがいいと思います。


石津日出雄・高津光洋編 『標準法医学・医事法 第6版』(医学書院) p143

【生活反応】 
 生活反応とは生体に外因や刺激が作用したとき、生体にしか発生しない全身的、局所的反応をいい、生の確徴でもある。反対語は死体現象であり、死の確徴となる。この生活反応は、死因の判定のほか、受傷後の生存時間、受傷機転、受傷順序、行動能力などの推定の根拠ともなる。
 生活反応は全身性と局所性に大別される。それぞれにおいて、血液循環と呼吸の2大生命現象で引き起こされる病態生理学的反応が主体である。
 全身性生活反応では、多量の出血と全身諸器官の貧血、塞栓症、顔面のうっ血、水血症、外来物質の全身分布、代謝、排泄、異物の気道内吸引などが挙げられる。
 局所的生活反応では、出血、血液凝固現象、炎症性変化、創傷治癒機転の進行状況、血栓形成などが代表的である。

  1. 2007/12/09(日) |
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平成三部作のこと

 下山事件の論争点と言うと、法医学鑑定、油、血痕、染料などがまず思い浮かぶ方が多いと思います。当ブログ管理人も法医学論争から入ろうかと思っていたのですが、まずは平成三部作(『下山事件 最後の証言』、『葬られた夏 追跡下山事件』、『シモヤマ・ケース』)の問題点を挙げることから始めることにします。ブログ全体の構成からいくと、あまり良くないとも思ったのですが、法医学鑑定等の論争点を詳しく紹介していると、それだけでかなりの時間をくってしまい、なかなか平成三部作の話にまでたどり着けないのではないかと思ったので、最初にもってくることにしました。

 平成三部作は確かに面白く興味深い考察がなされています。まるで小説のようにスリリングで読者を飽きさせません。また、平成三部作は下山事件が半世紀以上経った今もなぜ忘れ去られることがないのか、その理由のひとつを我々に教えてくれているのです。下山事件に興味のある方、推理小説好きな方は必読でしょう。面白さは保障します。それはさておき、とりあえず最も気になる問題点を指摘することから始めましょう。

 平成三部作の売りのひとつは、末広旅館の女将NFの夫NSが元警察関係者だったという「新情報」を得たことだと管理者は思っていました。もともとは『葬られた夏 追跡下山事件』の著者、諸永裕司氏が元捜査一課の刑事、金井岩雄氏から聞きだした情報です。その部分を引用します(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)p178 )。

 また、亡くなってから十七年になる夫のSについて、捜査一課の数少ない生き残りの刑事である金井は雑談の中で意外なことを漏らしていた。
「最初に通報してきたのは末広旅館の旦那だったけど、このNSっていう男は偶然にも私の先輩でね。警察に入って間もないころ、麻布鳥居坂署で一緒だったんだ。そのとき、(関口由三・捜査一課)主任も顔見知りだった。元特高の警察官なんだよ」
 新情報だった。第一通報者で疑惑の証言をした末広旅館の女将の夫が捜査一課員と旧知の間柄だったことになる。
 やはり、自殺説は仕組まれていたのだろうか。


 次に柴田哲孝氏の著作から引用してみましょう(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)p173)。

 いったいこれはどういうことだ? 末広旅館の夫婦は亜細亜産業と関係があっただけでなく、自殺論を展開する捜査一課の現場責任者とも旧知の仲だったということになる。
 NSと「顔見知りだった」とされる関口由三は、警視庁を退職後の昭和四十五年、『真実を問う 下山事件捜査官の記録』を サンケイ新聞社から発表している。この本は、もちろん捜査一課の見解を主張する“自殺論”だ。その中で関口は末広旅館について触れ、 NSについて「経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった」と評しているが、「知り合いだった」とは一言も書いていない。ちなみに、 NFの調書を作成したのも、関口由三である―――。


 では最後に末広旅館の女将の夫と旧知の仲だったという捜査一課関口由三主任の著書を見てみましょう(『真実を追う 下山事件捜査官の記録』(産経新聞社)p109-110)。

 同日、主人のNSさんの調書も作成している。その内容の要点は、
 大正十年警視庁巡査を拝命、鳥居坂警察署勤務、交通、特高係りをやる。父NS(※イニシャルにすると同じになります、管理者注)は警視庁剣道師範で芝三田で道場を開いて いたので、その助教をしていた。父が死亡し恩給もついていたので、昭和八年五月三日辞めて向島吾嬬町の合資会社前田鉄工所支配人 となり、昭和二十年三月辞め、現在は株式会社日本リヤカー工場の監査役をして、妻名義で旅館を経営している。下山総裁に似た人が 休まれたことを初め三男のS君が気づき、家内もほんとに間違いないということで、届け出たものである。人に依頼されたり虚偽のことを 申し上げたのではなく、私も妻もそんな人間ではない。
 と証言している。経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった。


 確かに諸永氏も柴田氏も嘘や間違ったことは書いていません。関口氏は「知り合いだった」とは一言も書いていないわけですから。その意味で新情報は新情報なんでしょう。しかし昭和45年に関口氏が自らの著書の中でNS氏が元警察関係者だと明らかにしている事実を鑑みると、「知り合いだった」という情報にどれほどの意味があるのか疑問になってきます(柴田氏は、著書の中盤以降では知り合いだったことよりもむしろ特高上がりだったという事実のほうを強調しています〔「NFの夫は特高上がりだった」p348〕)。しかも、このことを書いたのは関口氏が初めてではありませんでした。既に昭和39年に平正一氏が著書『生体れき断』(毎日学生出版社)の中でNS氏が警視庁に入り、まもなく特高係となったことを書いているのです(p94)。つまりNS氏が元警察関係者だったということは随分昔から周知の事実だったわけです。そもそもNS氏と関口氏が知り合いだったという情報は、金井氏が雑談中に諸永氏に話したのであって、警察側としては隠す必要はなかったのでしょう。末広旅館と警察のつながりに陰謀論的な意味を見出すのは間違いと見るのが妥当といえるのではないでしょうか。

 興味深いのは森達也氏は柴田・諸永両氏とはまったく別の方法で同じ情報に辿り着いているということです。彼は末広旅館跡地の隣で不動産業を営むNS氏の後妻の女性に直接インタビューして、NS氏が刑事たちと知り合いだったこと、元憲兵隊だったことを聞き出しています(『シモヤマ・ケース(文庫版)』p311-312)。後妻の女性はやけに記憶力が良く、NS氏の知り合いの刑事たちは捜査二課ではなく、みな捜査一課に所属していたと述べています。森氏自身がこの話を聞いて相当驚いている様子が書かれていますので、そのときまでに関口氏、平氏の文献は読んでいなかったのでしょう(『生体れき断』という文献が出版されていること自体は知っており、しかもそれを読んでいると思われるような書き方をしてはいますが。文庫版p57、70)。なお、諸永氏も『生体れき断』は読んでいるようですし(『葬られた夏(文庫版)』p150、157)、柴田氏も同様です(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p182)。

 長くなってしまったので、最後に諸永氏の言葉を引用して今回は終わります(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』p232)。

何が起きたのかをきちんと聞き出し、記録することが仕事じゃないか。



「末広旅館の主人NS氏」「諸永裕司氏のこと」「『下山事件の謎を解く』 堂場肇(著) 六興出版社」「三大新聞社と下山事件報道」の「下山事件をめぐって」という週刊朝日の記事、および事件関係ブログさんの「下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2」もご参照ください。
  1. 2007/12/09(日) |
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はじめに

 ようこそいらっしゃいました。ここは昭和24年に起きた、いわゆる「下山事件」に関するブログです。ここに訪れた皆さんはもうご存知の方が多いと思いますが、下山事件には自殺説と他殺説とがあり、事件発生から半世紀以上が経った今でも決着はついていません。それが「戦後史最大の謎」と呼ばれたり、三鷹事件、松川事件とともに「国鉄の戦後三大ミステリー」と呼ばれるゆえんでもあります。

 まず初めに当ブログ管理人の立場を述べますと、他殺説に妥当性はないと考えています。ただ、「絶対に自殺だ!」という考えとは少し違います。「他殺だったかもしれないが、他殺説を展開するに足る説得力のある材料はほとんどない」という立場です。

 管理人が初めて読んだ下山事件関係の書籍は松本清張著 『日本の黒い霧』でした。これでとっかかりを作り、矢田喜美雄著 『謀殺 下山事件』へと進みましたが、その頃には自殺より他殺の可能性のほうがやや高いと考えていました。しかし、『謀殺 下山事件』の解説で和多田進氏はこう書いていました。「『下山事件全研究』は私たち「他殺論」者にとって必ずしも反論が容易な一冊とは言い難い」、と。「反論し難い? 死体に血が少なかったことや、線路の血痕はどう考えても自殺じゃ説明できないんじゃないのか?」 こんな思いで『下山事件全研究』を古書店で手に入れ、読み始めたのです。そして今は上に書いた結論に至っています。

 『下山事件全研究』を始めとした自殺説の本を探しながら感じたのは、「自殺説の情報は他殺説のそれに比べて非常に手に入れにくい」ということでした。自殺説の代表的な書籍というと、今述べた佐藤一著 『下山事件全研究』(時事通信社)をはじめ、平正一著 『生体れき断』(毎日学生出版社)、関口由三著 『真実を追う』(産経新聞社)などがあります。これらは全て絶版です。資料的価値の高い下山事件研究会編 『資料・下山事件』(みすず書房)もやはり絶版になっています。読むには図書館か古書店を回らなければなりませんし、必ずしも簡単に見つけられるわけでもありません。しかも古書店は今では入手しにくいこれらの書籍に高い値をつけることがしばしばです。下山事件を客観的に見るためには、自殺説と他殺説の両方を知ることが大切だと管理者は思っていますが、このような理由で自殺説にはなかなかアクセスできなくなっています。どちらかの説を支持したり、否定するという行為は、本来その両方をよく知っていなければできない行為なはずですが、下山事件に関してはどうも事情は異なるように思われます。ならば自殺説の簡単な紹介を自分でWeb上に作ってしまえばいいではないか、ということで生まれたのがこのブログです。

 もちろん自殺説をよく知るには、上に挙げた書籍に直接あたってみるのが言うまでもなくベストです。ここでご覧になれるのは、自殺説の「受け売り」もしくは「劣化コピー」に過ぎません。しかも管理人の力量を考慮すると、情報として相当劣化しているはずです。しかし、劣化コピーは劣化コピーなりに、自殺説の書籍が手に入りにくい状況では、いくばくかの存在価値もあるのではないかと考えます。

 なお、事件の詳細および当時の社会情勢などのイントロダクション的なものは、他のサイトや書籍で詳しく知ることができますので、ここでは割愛します。事件の関係者の氏名は、下山定則総裁をはじめとする国鉄幹部、GHQ・政府関係者、警察関係者、法医学者、新聞記者、下山事件関連書籍の著者、下山事件研究会のメンバー、他殺関係情報提供者、当時の著名人等を除いて基本的にイニシャルで表記します(目撃者や確固たる証拠もなく犯人扱いされている人はイニシャル表記するということです)。原著で氏名が書かれていてもこのブログで引用するときにはイニシャル表記をします。

 管理人への連絡は、deldelstone★yahoo.co.jp(★を@に変えてください)までお願いいたします。お返事は遅くなったり、もしくはできない可能性もございます。ご了承くださいませ。
  1. 2007/12/09(日) |
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