下山事件自殺説紹介ブログ

他殺説に比べ情報が手に入りにくい自殺説の紹介をします。

パナマ帽の男たち

 昭和24年7月15日付の読売新聞には、盗みをはたらいた後の帰りに窃盗犯が轢断現場周辺にさしかかったとき、白いパナマ帽をかぶった男がたたずんでいるのを見て刑事と思い身を隠したが、間もなく轢断列車が通過した(午前0時20分前後)のでその音にまぎれて逃げた、という話が載っています。この記事は『下山事件 最後の証言(増補完全版)』にも紹介されており、柴田哲孝氏はパナマ帽の男たちが犯人グループであろうと推理しています(p375-376)。(※このパナマ帽の男たちは窃盗犯が見たもので、納豆売りの少年の話とはまた別です)

 しかし、この読売新聞の記事には目撃時間について間違いがあるようです。雨の降り具合、盗みに入った時刻、窃盗犯自身の証言などを元にすると、轢断地点近くを通ったのは深夜2時頃だったということです(過去のエントリで簡単に触れた窃盗犯です)。したがって轢断列車が現場を通過したときには、窃盗犯はその場にすらいなかったということになります。深夜2時頃には北千住分区の保線工手三人が死体処理のため現場に到着しており、窃盗犯は彼らを見て警察と勘違いしたものと思われます(『生体れき断』p80-81、『下山事件全研究』p115-116、『資料・下山事件』p377-378)。また、既に彼らよりも先に保線分区長は現場に到着していました(『生体れき断』p81)。もし窃盗犯が見たパナマ帽の男たちが犯人グループだとしたら、そんな時間まで現場には残っていないでしょう。昭和24年7月19日付の読売新聞を始めとする各紙には、パナマ帽の男たちと事件との関連を否定する警視庁の談話が載っていますが、柴田氏はこちらのほうの記事には触れていません。
  1. 2008/05/09(金) |
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東武伊勢崎線

 柴田哲孝氏は『下山事件 最後の証言』で、亜細亜産業が自由に使えたはずだという東武伊勢崎線の列車から下山氏の死体が投下された可能性を指摘しています(増補完全版p378)。そしてその場合には、死体が運び込まれたのは北千住か五反野、もしくは小菅だろうと推理しています(p382)。
 
 柴田氏はなぜか言及していませんが、下山白書に東武伊勢崎線の現場通過時刻についての情報があるので見てみると(『資料・下山事件』p425)、下り列車で一番遅い時間にガードを通過した列車が午後9時49分となっていますから、少し早すぎると考えられます。上り列車は午後11時から11時47分の最終電車までに計6本の列車が現場を通過しているので、もし死体運搬に使われたのだとしたら上り列車ではないでしょうか。とはいえこれらは普通列車なので、死体の運搬や投下が可能なのかというと疑問な気もします。警察が東武伊勢崎線の列車の現場通過時間や運転者、車掌の氏名を把握していたということは、ある程度調べてシロと判断したんじゃないでしょうか。

 実際、7月21日の第1回目の公式発表では、堀崎捜査一課長が、東武線列車も調べたが特に新事実はなかったと述べています。また、下山氏がまず最初に東武線列車にはねられ、その後落下してまた国鉄の列車に轢断された可能性も警察は考えていたようで、東武線列車を捜査の対象外に置いてはいませんでした(『下山事件全研究』p152、184)。下山白書にも東武線列車やその乗務員を調べた結果、「発見列車、轢断列車以外に死体を運搬して現場に降したと思われる電車、貨物列車は乗務員駅員其他関係者の取調べにより事実発見されない」と記されています(『資料・下山事件』p378-379)。
  1. 2008/03/24(月) |
  2. 平成三部作
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諸永裕司氏のこと

 諸永裕司氏が自著において、末広旅館のNS氏が元特高警察関係者であったことを「新情報」として記述していることは既に「平成三部作のこと」で指摘しました。ですがNS氏が元特高であったことは管理者の知る限り、1964年に平正一氏が、1969年と1970年に関口由三氏が、そして最近では1986年に増田滋氏が周知の事実として語っています(「平成三部作のこと」「末広旅館の主人NS氏」、および事件関係ブログさんの「下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2」参照)。もうないかなと思っていましたが、またひとつ見つけました。

 不勉強でお恥ずかしいのですが、当ブログ管理人はつい最近になって1999年に週刊新潮に掲載された、麻生幾氏による下山事件関係の一連の記事を読みました。この連載を評して諸永氏は『葬られた夏(文庫版)』(朝日新聞社)で次のように述べています(p138-139)。

 そもそも、下山のポケットから麦の穂が見つかったことは、事件直後の四十九年七月十七日付の朝日新聞が報じている。それをあたかも新証言のごとく扱っていることが不思議だった。僕はこの烏麦証言をした金井岩雄という刑事に直接たずねてみたいと思った。


 管理人が麻生氏の記事を読んだ限り、事実をあたかも新証言のように扱っているという印象は受けませんでした。一課の刑事たちがどういう捜査や思考を経て「自殺」という結論に至ったのかがよく分かる、優れたルポルタージュであると思います。それはさておき、その週刊新潮の麻生氏の連載には次のような記述があります(『週刊新潮』 1999年2月18日 p54)。

さらに同日、初めての目撃証言が捜査本部に飛び込んだ。死亡直前の下山総裁を見た、という重要証言だった。「遺体発見現場近くにある末広旅館から電話があったのです。偶然にも、旅館の女将の旦那さんが、かつて麻布鳥居坂警察署にいた警察官で、主任(関口)さんも知っているし、私の先輩でもあったことから、素早く電話をしてくれたのです。旦那さんは下山総裁を見てはいなかったのですが、奥さんがハッキリ見ていました」(金井)


 つまり諸永氏は、「末広旅館のNS氏が元警察関係者だったこと」、「捜査一課の関口氏とNS氏が知り合いだったこと」がはっきり書いてある記事を読んだのがきっかけで元捜査一課の金井岩雄氏にインタビューをし、次のような文章を書いているわけです(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)p178)。

 また、亡くなってから十七年になる夫のSについて、捜査一課の数少ない生き残りの刑事である金井は雑談の中で意外なことを漏らしていた。
「最初に通報してきたのは末広旅館の旦那だったけど、このNSっていう男は偶然にも私の先輩でね。警察に入って間もないころ、麻布鳥居坂署で一緒だったんだ。そのとき、(関口由三・捜査一課)主任も顔見知りだった。元特高の警察官なんだよ」
 新情報だった。第一通報者で疑惑の証言をした末広旅館の女将の夫が捜査一課員と旧知の間柄だったことになる。
 やはり、自殺説は仕組まれていたのだろうか。


 「新情報だった」とありますが、これは諸永氏の勘違いや記憶違いでしょうか。しかし、「何が起きたのかをきちんと聞き出し、記録することが仕事じゃないか」(p232)と述べる諸永裕司氏が事実の記述に細心の注意を払わぬはずはありません。万が一ケアレスミスだったとしても、平成三部作の著者らすべてが気づかなかったというのもおかしな話です。諸永裕司氏に関しては事件関係ブログさんの一連の記事も是非ご覧ください。

 ひとつここで述べておきますが、他殺説関連の文献における不自然な引用方法等についてしばしば記事を書くので、いちいち揚げ足取りをしているようで見苦しく思う方も居られるかも分かりません。これまで取り上げてきた不自然な引用や事実説明は、非常に些細なものもいくつか含まれています。しかし、そういったところにこそ書いている者の誠実さ、不誠実さが端的に表れると管理人は考えています。

 ちなみに、週刊新潮に連載された麻生幾氏の文章は、『戦慄』と『封印された文書』(ともに新潮社)で読むことができます。加筆・修正されているので週刊新潮に連載されたものとは少し違いますが、当然、捜査一課の関口氏と末広旅館のNS氏が知り合いだったことも以下のように書かれています(『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』p263、『封印された文書 昭和・平成裏面史の光芒 Part 1』p424)。

 それは一本の電話だった。遺体発見現場近くにある、末広旅館という、今でならさしずめビジネスホテルといった風の宿からの電話だった。偶然にも、旅館の女将の夫が、かつて麻布鳥居坂警察署にいた警察官で、関口主任もよく知っていた人物だった。



「『下山事件の謎を解く』 堂場肇(著) 六興出版社」「三大新聞社と下山事件報道」の「下山事件をめぐって」という記事もご参照ください。
  1. 2008/03/14(金) |
  2. 平成三部作
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ロイド眼鏡とゴム引シート

 最近血痕関連の記事をアップしていますが、柴田哲孝氏は死体運搬ルートや血痕群に関して従来の矢田氏や古畑氏のものとは異なる説明をしているので、ここで少し触れてみたいと思います。

 柴田氏は、プロである犯人グループが、いくら深夜だとはいえ裸のままの死体を抱えて何百メートルも線路上を歩くはずはなく、死体をゴム袋に入れて轢断現場まで運ばれたはずだという推理をしています。現場到着後死体をゴム袋から出して轢断現場に横たえ、空のゴム袋を手に荒川土手方面に線路上を歩いていった際に犯人らが残していったのが、点々と続く血痕だと考えれば辻褄が合うのだと主張しています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p379-382)。

 確かに辻褄は合っているとは思いますが、その着想の元になったのは、李中煥の証言と彼が作ったという下山氏が黒いゴム袋に入れられている合成写真でした。注意深く読んでもそれ以外には理由らしい理由は書いてありません。しかし柴田氏は佐藤一氏の『下山事件全研究』で取り上げられている当時の新聞から、自説を裏付けるような記事(記事の題名は「死体を包んだ? 天幕の布・西新井現場付近のドブ川から」。読売新聞、昭和24年7月11日)を発見します。記事の内容は、天幕とネルが末広旅館前のドブ川にあがったが何者かがそれを持ち去ってしまい、警察が捜査を開始した、というものです(『下山事件全研究』p74-75)。佐藤氏も述べていますが、現場近くではなく1キロ近くも離れた、しかも問題となっている末広旅館の前のドブ川から見つかったというのは、話ができすぎていますし、もし柴田氏の推理が正しいなら、犯人らは死体を置いた後でわざわざ血まみれのゴム袋を末広旅館の前に捨てに来たのでしょうか。

 拾い主も翌日にはあっさり見つかり、捜査は打ち切りとなりましたが(『下山事件全研究』p86、90、95)、柴田氏が注目したのはシートに包んであったロイド眼鏡でした。管理人はこの事実だけをもって下山総裁のロイド眼鏡と直結させるのは必然性がなさ過ぎるのではないかと思います。警察が強引にゴム引シートの捜査を打ち切ってしまったというのも特に根拠が示されているわけでもなく、柴田氏がそう書いているだけです。五反野の現場には矢田喜美雄氏のような他殺説の急先鋒で捜査一課に批判的な人もいたわけですが、その矢田氏ですら著書でこのゴム引シートには言及していません。そもそも死体がゴム袋に入れられて運搬されたのではないか、というのは柴田氏自身も認めているように「思いつき」に過ぎず、しかも李中煥の情報がある程度正しく、「下山総裁の死体がゴム袋に入れられた事実を李中煥が知っていたのではないか」という憶測が前提になっています。李中煥の証言は布施検事が自ら調べ、嘘だということが明らかになっていますが、柴田氏はそれをプロパガンダと見なしているため、嘘の中に一定の真実が紛れ込んでいるはずだとしています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p490)。柴田氏流のプロパガンダの定義等は既に「プロパガンダと真実と嘘」で述べたとおりです。

 ところで柴田氏は自著で引用する際に省略してしまっていますが(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p383)、ロイド眼鏡のほかに、キナ鉄ぶどう酒ビンや割れ目のはいった象牙のパイプなどが白ネルとともにゴム引シートに包んであったそうです(柴田氏が省略したのは、「そのほかにも、キナ鉄ぶどう酒ビンや割れ目のはいった象牙のパイプなどがあり、」という非常に短い文章です)。このゴム引シートのエピソードは、柴田氏が自著で唯一『下山事件全研究』を引用している箇所です。なお、『資料・下山事件』所収の下山白書では、ゴム引シートについて「古く汚れており、お産の後始末をするために布に包んで捨てたものと認められる」と報告されています(p376)。
  1. 2008/03/09(日) |
  2. 平成三部作
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平成三部作における線路上の血痕群に関する事実確認

 「血痕群の分布状況」で書いたように、ひとことに線路上に血痕が多数発見されたといっても、人血とは判定されたものの血液型まではわからないものもあったり、A型というところまでしかわからないものもあったりで、注意深く見ていく必要があります。

 ではこの血痕群の血液型について、平成三部作はどのような事実確認をしているか見てみましょう。以下に血液型について言及している部分を引用します。

諸永裕司著 『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)p131
しかも、血液型は下山のものと一致した。

森達也著 『シモヤマ・ケース(文庫版)』(新潮社)p239
鑑定の結果、血液型は下山と一致した。

柴田哲孝著 『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)p354
血痕の血液型は、もちろん下山総裁と同じAMQ型だった。


 血痕群の血液型について、平成三部作の全てがたった一文のみで終わらせています。しかも、全ての血痕の血液型が下山氏のものと一致したかのような書き方です。特に柴田氏のものは問題があるのではないでしょうか。手っ取り早く曖昧な表現で事実確認を済ませた後、長い長い推理が展開されるこの血痕のくだりは、いかにも平成三部作らしいといえます。
  1. 2008/02/22(金) |
  2. 平成三部作
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