今回は事件発生直後の7月6日の政府高官の対応についてみてみようと思います。
政府高官として最も早い時期に発言をしたのは殖田法務総裁で、6日午前10時に参議院で「共産党がこの種の暴力行為を行うとは信じない。しかし万一このようなことがあれば、国民がこれに対抗するであろう」と発言しています(昭和24年7月7日付、朝日新聞、『下山事件全研究』p16-17、『資料・下山事件』p15)。自殺か他殺か、まだ何も情報のない状況で「他殺」と「共産党の犯行」を匂わせています。
正午には増田官房長官が「下山国鉄総裁の死体は東大で解剖しているが、両足、胸が切断されている点から、鉄道の専門家たちは自殺ではないと見ている。轢かれる前に死んでいたのではないかとの見方が強い。しかし、政府としては慎重な態度で臨み、徹底的に調査する」と発言していますが(昭和24年7月7日付、朝日新聞、『下山事件全研究』p17、資料・下山事件』p15)、正確にはこの時点では解剖はまだ始まってすらいませんでした(司法解剖は午後1時40分開始、午後5時12分終了)。「鉄道の専門家たち」という表現も非常に曖昧で具体的に誰を指しているのかよく分かりません。また、細かいことですが胸部は轢過されていませんし、両足と胸部が切断されていてもそれが他殺の理由にはならないと思います。
午後6時治安閣僚会議を終えた樋貝国務大臣は、「下山総裁の死亡は少なくとも自殺ではないと判定されるが、他殺の場合、犯人が問題となるが、犯人が誰かは日を以て数える期間に判明すると思う」と述べています(昭和24年7月7日付、読売新聞)。司法解剖が終わってその結果が伝えられた直後であろうと思われるので、上の二人の発言より根拠はしっかりしているとはいえ、警察の捜査もほとんど何も始まっていない時期の「犯人が誰かは日を以て数える期間に判明すると思う」という言葉は、おそらく憶測のみに基づいていたのではないでしょうか。
まだ事件の詳細が明らかになっていない時点での彼ら政府高官の発言から感じられるのは、他殺の線を前面に押し出し、それを暗に左派と結びつけようとする意図でしょう。
以前のエントリで触れた増田氏の発言にもそれは色濃く現れていると思います。国内の問題を解決するために事件を利用しようとするのは政治家としては「正しい」のかもしれませんし、また、当時の日本の社会情勢を考えれば、なりふり構っていられなかったともいえるのではないでしょうか。
増田氏は毎日新聞の記者を呼んで自殺の線の報道を抑えようとしたとき、「しかし、もしこれが自殺だということになった場合に、この労働攻勢を乗り切れるか。(中略)政府にもそういう労働攻勢を乗り切る自信はないんだ。あなたたちもそういう点を考えてほしい」と述べています(サンデー毎日、昭和29年10月3日号)。当時は左派の犯行を直感させる世相だったといいますが、そのような中で、もし下山事件が自殺だと決まったら共産党や労働組合からの反撃が予想され、吉田内閣の命取りにもなる可能性もあったようです(週刊朝日、昭和24年7月31日号)。結果的に下山事件によって政府や国鉄は人員整理が加速し得をしたといえるでしょうが、一度事件を利用したら後には引き返せないわけで、他殺の線を最後まで強調し続けたのも頷けます。左翼にしてみれば下山事件は痛手でしたが、逆に成り行き次第では躍進するための大きなチャンスにもなりえたともいえます。どちらに転ぶかは紙一重だったように管理人には思われます。
- 2008/05/22(木) |
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自殺か他殺かは別として、事件発生後にそれを最大限に利用した、もしくはしようとした人がいたのは確かでしょう。増田甲子七官房長官と加賀山之雄国鉄副総裁(後に総裁)もそういった人たちのなかに含まれるといってもいいかもしれません。
増田氏は7月6日正午の記者会見で「ひかれる前に死んでいたとの見方が強い」と、八十島監察医による「轢死」というのが唯一の科学的判定であった時期にそれを無視し、他殺の可能性を示唆する声明をしています(『下山事件全研究』p17)。(ちなみに松川事件のときも同様に、事件の翌日、まだほとんど何も明らかになっていない状態で増田氏は「三鷹事件をはじめ、その他の各事件と思想的底流においては同じ」と発言しています。『松川事件 謎の累積』p12)その後も増田氏は、自殺の線の記事が多い毎日新聞の記者(若月五朗氏と今井太久弥氏)を首相官邸に呼び、「国鉄の大量首きりによる労働攻勢のはげしいおり、あなた方のいうように下山さんが自殺だったとしたら、この左翼勢力はどうなりましょう」、「終戦後四年、やっとインフレを克服して、国民生活が安定しかけたとき、あなた方の報道で左翼攻勢の突破口を与え、国民生活を再び混乱におとしいれたら、あなたの新聞の責任は大きいと思いますがね」、「これが自殺だなんていうことになったら、せっかくここまで来た日本が元に戻ってしまうではないか」と述べたといいます。「真実に耐えられないような国民が復興できるはずがありませんよ」と今井氏が答えると、「君ね、やはり祖国というものは復興させなきゃならんのだから」と、両者の話し合いは最後まで平行線のままで打ち切りになりました。(『資料・下山事件』p561、『生体れき断』p127-128、『毎日新聞社会部』p21-22、「下山国鉄総裁は自殺だった」中央公論1986年4月号)。毎日新聞の平正一氏は増田氏の発言をして「恐るべき論理」、「恐るべき権力主義的な考え方」と評しています(『生体れき断』p128)。増田氏とまったく同じような「これが自殺ということで、日本の将来はどうなるか」という言葉は、加賀山氏の口から発せられています(『生体れき断』p122)。これらの発言は彼らの立場と、戦後間もない大変な時代でレッドパージも盛んだったという背景も併せて考える必要があるかと思います。
この二人はそのほかの点でも似ていて、例えば捜査の報告に訪れた警視庁の坂本智元刑事部長に対して「もういいから帰れ。オレが、県の警察部長をやった経験から、アレは他殺に絶対まちがいない」と増田氏が激怒したかと思えば、加賀山氏は捜査一課長の堀崎氏に喰ってかかったり、自殺という結論では責任回避ではないかと警視総監の田中氏をなじったりしています(『下山事件全研究』p189、『資料・下山事件』p525、531)。増田氏は事件から10年後、「素人判断だが、他殺だったと思う」と述べています(『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』p82)。
※関連した内容は
「事件直後の政府高官の発言」をご参照ください。
- 2008/04/01(火) |
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Col. P????
This is bad publicity.
Can't you shut them
up. This thing was
no suicide.
PSB

「プリアム大佐 これは悪い報道だ。彼らを黙らせろ。これは自殺ではない」
これはGHQ参謀第二部(G2)の民間諜報課長、ブラッドン大佐がウィロビー少将から受け取った書類の余白に書いた文章だそうです。プリアム大佐宛のメモですが、名前の綴りは走り書きなので読めません(Puliamか?)。1986年2月26日付の毎日新聞に載っています。
- 2008/03/19(水) |
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